2017年10月03日

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

2017年6月に京都で実施しましたBCo演習に報道員として参加してくれた現役アメリカ海軍の報道員、David Krigbaum1等兵曹が、その詳細なレポートを自身のブログにアップしました。
ブログはアメリカ人から見た、日本での旅やミリタリーを扱ったものです。
今回彼は、日本人がWW2アメリカ軍の再現をどう行っているかに興味を持ち、FBで取材の申し込みをしてきました。
何度かのメッセージのやり取りを経て、参加取材へと繋がったものです。
ブログはアメリカ人向けのもので、当然ながら英語で書かれていますが「日本語で読みたい」と言う多くの要望wがあったため、下手な訳ではありますが今回までの3回に渡ってお送りしてきました日本語訳編、その最終項VOL.4をお送りいたします。
なお、文章の翻訳掲載、並びに写真使用についてもDavid氏の了承済みです。

この元記事はこちら「Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 」にあります。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan


訳文1
訳文2
訳文3

※この項に限り、補足として元記事に無かった写真を追加しています。


※Photo by Taro-maru.

私はこの後、行動すべき事は無く、また撮影にはあまりにも暗かった(演習でフラッシュ撮影は禁止しています。兵士達の夜間視力を奪ってはいけないため)ので、軍服のままでベッドに居ました。
私の周囲では絶え間なく動きがあり、定期的に野戦電話のベルや報告がもたらされていた。
本部テント内の空気は酸素、ガソリン(ランタン)、そして絶え間ない煙草に満たされていた。
本部の人々もまた夜を徹して作業しており、寝ていません。

私はいくつかの(ランダムな)日本語を知っていますが、半分眠っている私の耳に知っている数少ない単語の一つが報告の中に聞こえました。

私はベビーベッドで跳ね起きました。
「誰かが”トツゲキ”と言ったの?」

Totsugeki-アサルト。
我々は夜明けにドイツ軍を攻撃するという決定が下されました。
Lt,Nakanishiは中隊幕僚として計画を策定しており0400時、まだ夜が明ける前にそれは実行されるでしょう。

週末を過ごす地獄の方法。
一日中地面を掘り起こし、夜間にパトロールし、夜明けに攻撃する。
それをレーションとジェリ缶風味の水で満たす事です。

夜中のある時点で私は起きて、個人的なビジネスを世話しなければなりませんでした。
私は遠くに行く予定は無かったのでベッドに自分の銃を置いて行きました。

私達のテントの後ろにある茂みでの”ビジネス”を済ませる私に、丘からの引きずるような音が聞こえました。
それが何かはわかりませんでしたが、こちらに近づいていました。
私はドイツ兵のパトロールに関するルールが分からなかったが、突然、非武装になることは悪い考えであることに気付きました。
それは訓練ではありましたが、私は捕虜の奪取に関する方針が不明でした。

私は合言葉を思い出し呼びかけながら、パンツのボタンを閉じつつ警戒しました。
するとTsurumi少尉が合言葉の後半を言いながら茂みから出てきました。
ちょうど報告時間でした。
私は彼からの電話(報告の為、本部に戻る)で起きたに違いない。

つまらない目覚まし時計(ディビットの現代の腕時計)は0345が来たことを私たちに知らせてくれました。私たちはすぐに行動する為の準備をしました。
星は消えて、空はまだ深い青色だったが行動は充分可能でした。
兵士達はフル装備で集合していました。
私たちは斥候で使用したルートに従って前進しました。
明かりが無いためゆっくりとした動きでしたが、私はまだ枝をこするヘルメットの音すら静かな行動に感銘を受けました。
我々の行動を敵に知らせない為、音を出さないように慎重に動くことに緊張しました。
私はカメラマンとして列から離れる事を指示され、私は一番後方の位置に付きました。
撮影のために前方に出るうような無粋な真似で、このような貴重な訓練機会を台無しにはできません。


※Photo by Taro-maru.

※Photo by Taro-maru.

※Photo by Taro-maru.

我々は、Tsurumi少尉が昨日の午後に発見した敵の陣地に向かい、丘の斜面を横切って進みました。
やがて空が明るくなってきました。
我々は地面に伏せ、静かに”着剣”が告げられ、その時を待ちました。
なお危険な為、銃剣は”想定”で着けられました
Nakanishiは演習全体の管理の為、立って歩いていた。私は全体を見るために彼と一緒に居ました。


※Photo by Taro-maru.

※Photo by Taro-maru.

※Photo by Taro-maru.

※Photo by Taro-maru.

最終場面です。
0430時に攻撃が命ぜられ、私たちは "bang!" "bang!" "bang!"と叫んで丘を急上昇させました。
ドイツ兵は0430の我が方の突撃に合わせ行動してくれ”親切”にやられてくれたのでそれは短期間で終わりました。
(本部からの電話で”攻撃準備射撃”と”突撃支援射撃”が想定で与えられ、突撃の寸前までドイツ軍は”砲撃”を受けていました)
(また、実際にはドイツ軍の構築した”鉄条網”の一部を発見できず、攻撃は不十分でした)


※Photo by Taro-maru.

※Photo by Taro-maru.

※Photo by Taro-maru.

※Photo by Taro-maru.

※Photo by Taro-maru.

作戦完了。
我々は無線で本部にこれから戻る事を伝え、気軽な気持ちでキャンプに戻りました。
帰り道はヘルメットが木の葉で大きな音を立てようとも気にする事はありませんでした。









この攻撃の主な目的は相手を撃破する事ではなく、彼らがその行動をいかにうまく実行できるかを見ると言うことでした。
Nakanishiは「完璧ではないが行動はうまくいっている」と言い部隊が命令に従って正しく行動している事を確認しました。

私達はドイツ軍を含めた全員が本部テント前に集合し、訓練の成功を祝うために素早く整列し、グループの写真が撮影されました。
それは0500時で既に太陽が登っていた。
その後、彼らには分散して休養する許可が与えられました。
部分の人は森に戻り、自分達で掘った穴でリラックスしました。
朝食を食べたり、寝たり、小銃の分解手入れをしたりしていました。
何人かは本部テントでキャンプを行い、一人の仲間が装備品のすべてを落とし、すぐに開いた草の中で昼寝を始めました。













私のための簡易ベッドを含め、全員の為にすべての機材を運んで来たkodaは地面にジャケットで枕を作り、朝食後に眠りました。



私は当初からこのテントの中に積まれていた”朝食”のレーションボックスを開けて、最初の「ホット」な食事を楽しんだ。
ポータブルストーブのおかげで、私たちは水を沸かしました。水筒カップにインスタントコーヒーパウダーを入れてお湯を注ぐと即座に熱いインスタントコーヒーができます!







ある程度の休息の後、私たちはドイツ軍と共に集まり小枝、岩や紐を使って、戦場の地図を描いて、事後研究会を行いました。
これは”パワーポイント”の無かった時代に行われたものの一つで、手段は違えど、どの時代であっても行われてきた事でしょう。



昼食に最後のレーションが支給されました。
今度は10-in-1のセットでメンバー間で共有し分けられた缶詰セットが基本です。
私はHayashiとカメラマン同士仲良くしてチリビーンズ、トウモロコシ、果物を分けました。
彼はは適切な第二次世界大戦モデルの食器を持っていたので、並べてミート・カンの写真を撮った。
第二次世界大戦でどのようにデザインがより便利になったのかを簡単に知ることができました。
彼の新型は甘い果物とチリビーンズを分離できる、深いコンパートメントを持ち、蓋はハンドルの上に置くことで滑らず、1体として運ぶことができました。
私はWWI型の浅いプレートとふたを持っていました。
これらは細かい事です。
しかし、これらの事に細心の注意を払うべき”生活”のイベントでもありました。
(なお、報道員が古い食器を使用するのは正しい”再現”であります)



この最後の食事の途中、ドイツ軍の一人がバイオリンを持ち出して、Panzerliedのような古典的なドイツ軍の音楽で私たちを楽しませてくれました。
私はこのような生演奏を聞いた事がなかった。



私のためにPanzerliedをプレイしてくれた彼。-カサブランカのハンフリー・ボガート


その後すぐにテントをたたみ、機材の撤収が始まりました。
私達は日常に戻るために通常の服に着替えました。
私達はまるで時間が止まったように感じる瞬間を終え、今は別れる時だった。
私たちはお互いにお別れを言い、日本のどこかの場所に戻って別々の道を歩み始めました。

今回私が書いたすべてを読んだとしても、この「リエナクト」が一体何であるか、を完全に説明するのは難しい。
取扱説明書を読んでその説明をすることと、それを自身の知識、経験として得るためにやっておかなければならないこととの違いです。

彼らは「それがリエナクトだ」という。
これは実際に戦争に行くのと同じではないが、誰もその事を考えないでしょう。
私は歩兵が小銃をどのように持って戦ったかを知る必要があります。
私は怪しい水筒の水を味わい、世界で最も貧しいパックシステムでそれらを運ぶ。

決して目立たない詳細なディティール、くたびれた装備にまで気を使って準備した彼らを私は目の当たりにする事ができた。
私はまだリエナクターではありませんが、私はこれらの人と一緒にテントを共有することができました。

B中隊はここで訓練したようにこれからも繰り返します。
100大隊の事を知らない人々に、実際にそれらを見せることで、興味を持ってもらい伝えるためです。
私は、誰もが日本でこの物語を分かち合う事ができると考えています。


  


Posted by 先任  at 16:19Comments(0)リエナクト

2017年09月23日

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.3

2017年6月に京都で実施しましたBCo演習に報道員として参加してくれた現役アメリカ海軍の報道員、David Krigbaum1等兵曹が、その詳細なレポートを自身のブログにアップしました。
ブログはアメリカ人から見た、日本での旅やミリタリーを扱ったものです。
今回彼は、日本人がWW2アメリカ軍の再現をどう行っているかに興味を持ち、FBで取材の申し込みをしてきました。
何度かのメッセージのやり取りを経て、参加取材へと繋がったものです。
ブログはアメリカ人向けのもので、当然ながら英語で書かれていますが「日本語で読みたい」と言う多くの要望wがあったため、下手な訳ではありますが今回から数回に渡って日本語訳編、VOL.3をお送りいたします。
なお、文章の翻訳掲載、並びに写真使用についてもDavid氏の了承済みです。

この元記事はこちら「Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 」にあります。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan

訳文1
訳文2


私はを登って米軍側に戻った所、呼びかけを受けました。

"バグ"

"ジッター"

私は答え、戻ることができました。

味方撃ちが発生してしまうのは残念です。
ストーンウォール・ジャクソンに聞けばよくわかるだろう(南軍の英雄、ジャクソン将軍は味方の確認不足による誤射で死亡)
スタートレックのスコティ※日本版ではチャーリー。 (スコット役のジェイムス・ドゥーハンはD-Dayで撃たれ指を1本失っている。)

野戦電話は簡易な塹壕に設置され、兵士が本部と通信を確認していました。
調子が悪かったため、彼らは受信機を分解しそれを戻してから再試行しました。
ようやく繋がったようです。







Tsurumi少尉は次の段階に移るため2名の兵士を連れてドイツ軍陣地の斥候に出ます。
彼らは装備を外し小銃だけを持ち、ヘルメットの代わりにジープキャップだけを身に着けて丘を下りました。
私は彼らと同じようにすべきでしたが、すべての装備とヘルメットを身に着けたままでした。

丘の上から滑り落ちるとすぐに低い姿勢を取って電話回線を避け、底の背の高い草むらを通って行きました。
突然、私たちのポイントマンは地面に伏せ、私や残りのメンバーも従いました。
幾人かのドイツ兵が歩行していたが、私たちの存在に気付きませんでした。
彼らが遠く離れてから、私たちは丘を下り続けました。



斥候は森の中を巧みに移動し、小枝や落ち葉すら避けます。
私のヘルメットが何か乗り越える度に大きな音を立てているように感じました。
また、彼らの動きに追従しようとして身の回りすべてが大きな音を立ててしまってました。
午後は気温も上がり、ウールシャツやバッグによって汗ばみ始めました。
私は本当に装備を置いてくれば良かったと後悔しました
ヘルメットが無情にも何度も音を立てていました。







私は斥候を終えてからTsrumi少尉に、どのような方法で静かに行動できたのかを尋ねました。
私は中華店で雄牛を捌くような騒音を出していたからです。
まず第一に装備の除去でした。最低限の弾薬しか持ちません。
それは斥候の使命が敵と銃火を交える事には無いからです。
彼らはつま先から静かに足を下ろして歩行する、静かな方法を意識して実施しました。
最後の部分は私が決して考えなかったものでした。

彼は、第二次世界大戦の歩兵マニュアルが、今日もまだ使用されているものと変わらないと述べた。
そしてその米軍メニュアルからの経験を他のメンバーにも教育しました。
反対に私が動いた時の音は、彼らが動いたときよりもはるかに大きかった。
彼は私が静かに行動しようとした事に感謝しました。
彼らが前進する時、私は低い姿勢で待機しました。

”カメラマン”は、皆が隠れている時に立ち上がったり、足で踏む物音に注意を払わなかったりで、位置を暴露したりします。
私は事前にそれを知っていたので”カメラマン”にならぬよう、注意しました。

我々は丘の麓の川沿いを周回しながら進み、ドイツ側に向かった。
Tsurumiは地面に伏せ、双眼鏡を取り出しました。
私は何も見つけられませんでした。
その後、私たちは帰路に付き、本部に戻りました。
彼は機械銃を見つけていました
距離はありましたが、緑と茶色の自然な光景の中に突き出た、鈍い金属の銃身を見つけていたのです。



Tsurumi(小隊長)は本部のテントに戻った時、Nakanishi(中隊幕僚)は彼の地図上でヴィンテージのメッセージブックを見直し、Hiro(本部伝令)は電話交換機で手を動かしていた。
この交換機には森の野戦電話の回線が接続されています。
2本の電話線が、このテントに入っており1本はアメリカ軍のもの、もう1本はドイツ軍のもので、ドイツの野戦電話に接続されていました。
これは実際の演習のように両軍の行動が本部に伝わり、本部は率先してそれを評価できるようになっていた。また訓練の流れは本部によって統制され、場合によっては想定の付与も行われました。





Tsurumi少尉は報告を行い、ドイツ軍陣地を地図上に示しました。これらの情報が報告され、翌日の攻撃を計画することができます。その後、彼は戦場の進捗状況を確認するために丘を登りました。

この時間になると(既に暗かった)撮影することはあまりありませんでした。空いた時間があったので、テント内の人たちにインタビューを行い、この活動の動機について学びました。

Nakanishiは「COMBAT」(TVドラマ)を見たと言いました。子供の頃から本当の兵士について知りたいと思い続けて育ち、JGSDFに入隊しました。
実際のそれはテレビや映画で描かれているのとは違っていました。メディアはアクションで観客に魅了せますが、1944年か2014年かにかかわらず、現場での軍事的な生活というものは、まさに今、私達がやっていることです。
それは一種の悲惨なことです。食べ物は粗末で、仕事単調と決して楽しいものではありません。
1度の爆発音すら聞こえないつまらない日常。
誰がそれを言ったのかを忘れましたが「戦争はまさに恐ろしい恐怖の瞬間まで続く、絶え間ない退屈である」

このテレビでは決して見る事のできない悲惨さを、民間人が学び体験するための手段として、リエナクトメントはあり、それがグループを始めた理由の1つです。

NakanishiとHiroは、日本の人々は、一般的に米国で見られるような軍隊に対する高い意識を持っていないと説明した。
日本の軍に対する一般的なイメージは第二次世界大戦によって否定的であるが、国防のために軍事組織は不可欠である。

日本帝国陸軍の再現グループではなく、日系アメリカ人部隊の再現グループを実施している理由として以下があります。
現代の”アメリカナイズされた”日本人にとって、日系アメリカ人は自分達の先祖よりも近しい部分を持っていると言えます(もちろん完全に、では有り得ません)。
Kodaはまた、多くの日系アメリカ人が終戦後に日本の国家再建、復興するのを助けたと指摘しました。
彼らはこのグループの活動によって、軍隊について民間人に伝え、また彼らの国の復興を助けた人々の事を知らせる事で日系アメリカ人達を敬いたいと言いました。
そうする為に彼らは戦争で戦ったベテラン、実際のニセイのために卓越して努力する必要があります。
彼ら(BCo)は彼ら(Veterans)につながっているのです。
彼ら(BCo)がしていることは彼ら(Veterans)が見ています
その為にも私たちが今やっているように訓練し、彼らを尊重するために最も現実的なリエナクトを行っているのです。

掘削はほぼ日没まで行われていました。彼らは昼食後から堀り続けていました。
今では空になった夕食の缶詰が集められ、テント半組のテントが彼らの掘った僅かな窪みの上に置かれていました。
定められた行動は継続中であり、掘った穴の中からドイツ軍の活動を監視し定期的に報告し、また徹夜で斥候が行われるだろう。








えー。。。3回程で、と書きましたが4回に続きますw 次で終わります。たぶん。  


Posted by 先任  at 21:25Comments(0)リエナクト

2017年09月22日

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.2

2017年6月に京都で実施しましたBCo演習に報道員として参加してくれた現役アメリカ海軍の報道員、David Krigbaum1等兵曹が、その詳細なレポートを自身のブログにアップしました。
ブログはアメリカ人から見た、日本での旅やミリタリーを扱ったものです。
今回彼は、日本人がWW2アメリカ軍の再現をどう行っているかに興味を持ち、FBで取材の申し込みをしてきました。
何度かのメッセージのやり取りを経て、参加取材へと繋がったものです。
ブログはアメリカ人向けのもので、当然ながら英語で書かれていますが「日本語で読みたい」と言う多くの要望wがあったため、下手な訳ではありますが今回から数回に渡って日本語訳編、VOL.2をお送りいたします。
なお、文章の翻訳掲載、並びに写真使用についてもDavid氏の了承済みです。

この元記事はこちら「Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 」にあります。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan



訳文Vol,1

設営が完了し、本部テント内部にはタイプライター、電話交換台、机のある機能的な管理セクションがありました。
Nakanishiは歩いて机の上にマップケースを広げた。
マップケースの中身はオリジナルの米軍地図でした。
第二次世界大戦からのジョージア州ベニング。
しかし、今日再現するのはイタリアのカステリェーナ地方です。

我々の行動は、1944年7月のカステッリーナ近く140高地への攻撃で、激しい戦闘が行われた史実があります。
実際の戦闘は、アルノ川を渡河しドイツの防衛ラインを突破する、非常に困難な攻撃でした。
シナリオは、地形と季節的な類似点のために選択されました。

私たちがすべての準備を終えた後、”日系アメリカ人兵士”と”日系ドイツ人兵士”の両方を集合させ、Nakanishiは私たちのスケジュールを発表しました。



部隊は全ての装備を身に着け、お互いにその装備を確認しました。
"Staff Sergeant"は全員の装備をチェックした後、調整を行った。
その後Staff Sergeantはすべての準備が完了した事を報告するため、再度確認の儀式を行った。





ドイツ軍は丘の中に姿を消し、Kodaは昼食を用意しました。

彼は「K rations」と書かれた木製の箱を引き出し、その中からは「メニュー」と配給の半分が入ったダンボール箱が出てきた。
別の箱の中には光沢のある金色の缶がありました。
食事の内容は、適切な第二次世界大戦時のラベルによって包装された缶詰でした。









私がこの写真のものをKoda氏が準備した食事だと言う理由は、私が今説明したことすべてを彼自身が作ったからです。全員の分をです。
パッケージングの全て、さらにはいくつかの缶詰までも彼の作ったものでした。
彼は現代の食品を当時に該当する物に置き換えていると言いましたが、私は缶を開いて、ビスケット、キャンディーその他の品物を見ました。

私は今日の夕食、明日の朝食を受け取り、昼食を食べました。
メインコースはジョークで猫の餌のように見える塩味のコンビーフ缶=neko-canと呼ばれていました。
他にフィルターの無い「チェスターフィールド」タバコ、塩味のクラッカー、リグレーのガム、ハーシーのトロピカルチョコレートのパッケージがありました。
紙巻きタバコ、ガム、チョコレートにはカスタムラベルが貼られていました。
また、パックには一般的に「Waldorf」と呼ばれるティッシュペーパーと思われるものがありました。私はそれは置いておきました。

私は曾祖母と同じくらい古い、太ったスプーンでネコ缶を掘りました。
実物の70歳の服を台無しにしたくないので、私が着用したものの多くはリプロダクションでしたが、私の金属製のギアは私の頭のM1ヘルメットから私が飲んだ水筒までオリジナルのものでした。

私の食器セットは、これを行う前に1941-42年の米陸軍フィリピンスカウト制服を収集していた為、他の誰よりも少し古いものです。
第二次世界大戦の勃発時には、軍はまだWWIの装備が大量に使われており、私はほぼ100年前の古いM1918水筒とカップを持ち、1918年に生産されたM1918メスパンで食べました。
またスプーンやフォークは1世紀以上前のもので、M1911です。
私は支援要員として参加しており、実際の彼らも同様に古くなったアイテムを持ち歩いていて、1945年になってもまだまだアルミ製のM1918水筒を運んでいたカメラマンの写真を見てきました。





水筒について言えば、私は本当にその年齢を味わうことができました...
または、おそらくその味わいは水缶からのものでした。
いずれにしても、マルチビタミンがなくても、毎日一日分のアルミニウムを手に入れていました。イベントが進行したときに、水のメタリックな味わいが消えたのか、私が麻痺したのかどうかは分かりません。

私は食べ物を用意しなかったが、日中は味わい深い気晴らしのために、非常に古いAltoidsの缶入りキャンディを持ってきて、それを私のファーストエイドポーチに詰めました。
(空港のセキュリティが70歳の実物缶を開けて欲しくないので、私は実際のファーストエイド缶を持って来なかった。)







肉食副産物や包装されたクラッカーで腹を満たした我々は、作戦を開始、出発した。
この時点まではキャンプのような雰囲気がありましたが、そこには銃や戦闘装備がありました。
部隊は一列で森林に侵入しました。出発地の近くには以前の”戦闘”で作られたと見られる陣地や土嚢ありました。私たちが止まった時、全員が姿勢を低くしてそれぞれ別の側に注意を向け、後方に6人が残りました。
前衛は、丘の上にのぼり、その地域の安全を確認しました。この区域は既に戦闘地域であり安全が確保されていません。

我々は道を離れ、木の茂った森に入る事になります。その丘の斜面はきつく、また全員が全ての荷物を運んでいるので、小銃を持って山に入る兵士達の困難さを想像しました。





丘の頂部はやや平らにに落ち着いていて、植生が密集し低木が茂っています。
私たちはその地域を捜索しては確保するプロセスを繰り返しました。
男達は彼らの魅力的な道具を取り出し、掘り起こし始めた。彼らは戦いの穴を作って、今夜ここで寝るだろう。伝令が丘を下って戻り、野戦電話の為の電話線を構成し始めました。

Tsurumi(小隊長)は「ここの地面は非常に硬く、掘り起こすのが難しい」と私に教えてくれました。彼らがJGSDFで訓練する場所は、これほど困難ではないそうです。
彼は月曜日から一週間、陣地の構築を仕事でしていたが週末になって趣味でしていた。
それは今やっていたことと同様ですが、服や装備だけが異なりました。、

後で私は彼になぜこれをするのか尋ねました。
彼は自分でもわからない、と言ったがエドモンド・ヒラリー卿がエベレストを登った理由に挙げた「そこに山があるから」と同じだろうと言った。

カメラマンとして私はキャンプの間を自由に移動して写真を撮ることができました。
味方が穴を掘っている間に、丘の向こう側にあるドイツ軍を見学するように誘導されました。







米軍側が戦闘用の陣地を構築している頃、ドイツ軍は昼食のために休んでいた。
私達の食事がアメリカ大陸で作られ、出荷されたアメリカのプリパッケージスタイルだったのに対し、敵はもっと鮮やかなパンを楽しんでいました。
彼らは水筒といくつかの透明なガラス瓶から水を飲んでいました。
私が来たとき、彼らの一人が私を案内してくれました。彼はShokolade(第二次世界大戦時代のカフェインチョコレート)を試してみることを強く勧めました。

この陣地からの泥だらけの土は明るく鮮やかな茶色で、死んだ葉に覆われた丘のような米軍側とは対照的であった。彼らの一人が落葉を彼のヘルメットにかき集め、陣地を隠すためにその場所の周りに投げ込んでいました。
マシンガンの射界な当たる丘の下では、 "コンサーティーナワイヤー"が前進してくる敵を遅滞させるために吊り下げられていました。

Vol.3へ続きます。
  


Posted by 先任  at 18:00Comments(0)リエナクト

2017年09月21日

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.1

2017年6月に京都で実施しましたBCo演習に報道員として参加してくれた現役アメリカ海軍の報道員、David Krigbaum1等兵曹が、その詳細なレポートを自身のブログにアップしました。
ブログはアメリカ人から見た、日本での旅やミリタリーを扱ったものです。
今回彼は、日本人がWW2アメリカ軍の再現をどう行っているかに興味を持ち、FBで取材の申し込みをしてきました。
何度かのメッセージのやり取りを経て、参加取材へと繋がったものです。
ブログはアメリカ人向けのもので、当然ながら英語で書かれていますが「日本語で読みたい」と言う多くの要望wがあったため、下手な訳ではありますが今回から数回に渡って日本語訳編をお送りいたします。
なお、文章の翻訳掲載、並びに写真使用についてもDavid氏の了承済みです。

この元記事はこちら「Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 」にあります。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan


(注:ストライプスで同じタイトルの別の話があるかもしれません)

私は日本の第二次世界大戦の再現グループによる週末の訓練に加わる機会を与えられました。

以前の記事を読んだ方はその経緯を知っていますが、そうでない方に説明します。

私は第100歩兵大隊B中隊/ 442連隊戦闘再現グループに参加するにあたり、第二次世界大戦のフィリピン・スカウトを教育プレゼンテーションのために一緒にまとめて研究しました。
実際の442ndは主にニセイ(第2世代)の日系アメリカ人で構成され、第100大隊はハワイ出身です。
第100大隊はパープルハート大隊とも呼ばれ、442nd含めて米軍歴で最も称えられるユニットです。

日本の人々がこのグループの兵士を記念していることに興味を持って、私はFacebookで連絡を取り、英語を話すFacebookの管理者Kodaに感謝しつつ対応し始めました。

私は彼ら自身と、彼らが何をするかについてもっと学びたかったので、インタビューできるかどうかを尋ねました。
彼は私がイベントでそれらに参加させるように提案した。

リエナクトを見ることは、古い白黒写真が現代に蘇り、また文章でしか無いものが物理的な行為で翻訳されているのを見るようなものです。そこにいるのと同じではなく、歴史とやりとりする別の方法です。

私はリエナクトをするつもりはなかった。
私のユニフォームは、読者が私が共有した歴史に関連するアイテムを見たりタッチしたりして、物語を三次元で与えるのを助けることができる為のものでした。しかしKodaのオファーで、私は一歩一歩進んでみたいと思っていました。


当日私は、午前6時に滞在ホテルに近い京都駅のバス停の近くに立ってました。
私はKodaかそれを示す看板を探して荷物を転がしていました。
一人の兵士に必要な基本的な装備は、着用が容易でありそれほど重くはないが、荷物として引っ張られると大きなスーツケースを埋める程になりました。

私が着ていた唯一のギアは、ブーツとカメラ関係でいっぱいのガスマスクの袋が私の体を横切っていたことでした。この時間に、バスのないバスステーションで騒ぎ寄っている少数の人々のうちの1人が私に電話をかけた。
彼は軍の帽子をかぶっていたし、第二次世界大戦の将校の地図のケースを肩にかけていた。彼はKodaではなかったので、私は彼を認識しませんでしたが、彼はおそらく軍隊から私を認識しました。またKodaが彼にアロハシャツで背の高い白人を探すように言ったからです。

彼は私の手を振って自分自身をNakanishiとして紹介した。
彼は1988年以来リエナクトをしていて、2000年にグループを創設しました。
彼は今日出ている数少ないJGSDFのメンバーの一人でRanger資格を持っていました。またユニットは、他に2人のRangerから成っていました。
そのうちの1人はJGSDFの砲兵であり、またKodaはJMSDFのメンバーです。
その他の人々は厳密にには軍事関係ではない民間人でした。

Kodaさんが運転してきたバンには「リメンバーパールハーバー」のバンパーステッカーが付いていた(第100歩兵大隊の紋章)
バンは木製の木枠や荷物で満載されていて、時代遅れのスーツケースを積み込むために背を開いたときにキャンバスの独特の香りがありました。
彼はアメリカの空母と戦闘機が描かれたアロハシャツに100大隊のボールキャップを着用していた。
幾人かのメンバーがすでに彼と一緒にいて、私たちは短い順序で自分自身を紹介しました。
これまで言及された皆のように、彼らはすべてどこかにミリタリーアイテムやヘッドギアを身に着けていました。
私たちは道行くサラリーマンや女性からは、ミリタリーオタクの奇妙な集まりのように見えたに違いない。

とにかく私の日本語は貧しく地元の佐世保方言の半分程度なのですが、このグループはまともな英語を話すので、私たちがキャンプをする宇治に向かう途中でコミュニケーションをとることができました。
私たちは相互に軍事的関心を持ち、写真を共有して時間を過ごすように話しました。グループメンバーの一人はカメラマンのHayashiです。

Hayashiは実際にはリエナクターではありませんが、彼は実際にこれらの出来事を撮影するのが好きで、彼の作品はとても良いです。
私達はどちらもカメラマンなので、お互いのショットを被らないようにしました。彼はヴィンテージカメラとデジタルカメラの両方を持っていました。



私たちは宇治のコンビニでグループの他のメンバーと会った。
付近は出発した都市部とはまったく違って、緑が多くあった。
他のメンバーも私たちに似ていて、大部分の軍事用品や服を着ていました。
我々は紹介をして、トレーニングエリアに向かう前に最後の朝食を摂りました。

トレーニングエリアはいくつかの建物と道路があることを除いて、森林の多い丘に囲まれていました。私たちのキャンプは平らなエリア、草の薄い硬い土に設置されました。
道が私たちの前にある森の中にさらに入り、丘の上にはやや穏やかな45度以上の傾斜がありました。
傾斜の先は河床に導かれ、反対側は紅葉の下で姿を消した丘陵地をさらに上っっていた。

エリアには幾人かが我々と会うためにそこにいたが、彼らは米軍ではなかった。フィールドグレイウールの軍服の半数は木製のテーブルの周りで待機していました。
ドイツの国防軍の国章を自分のチュニックに着けたり、自分たちのユニフォームのフィット感を調整をしていました。
彼らは「黒騎士中隊」と言うグループで、お互いのトレーニング強化の為参加していました。
今日までに、2つのグループは互いに一緒に訓練を受けたことはなかった。



(軍服に鉤十字と鷲の国章を縫う。
ロープはサバゲで使用する時用のセーフティエリア、喫煙所を示すための物であり灰皿等を含めて現代の物を排除はできませんでした)



以下は私自身の準備のポイントです。

”戦闘的な”外観にもかかわらず、完全な軍服を身に着けた事がなかった。
一般社会の中でそれは浮きます。
私は以前軍服で試してみたが、ブーツを除いてそれを着用する機会は一度もなかった。 私はそれらを馴染ませる為に数ヶ月身に着けていて、「レトロ」スタイルで褒められていました。





参加者は全員それぞれの役職があり、その役職に応じた服装、装備をします。
私のこの部隊における役職はアメリカ陸軍第5軍の報道カメラマンでした。
私の能力は限られていたが、この役職を与えられた為に演習の全体を見る事ができました。

私は斥候に追従して行動する事も許可されましたが、決して「加担」することはありませんでした。
それらハードな面は専門の兵士が行い、私は乗り物を楽しむように見学に位置で写真を撮りました。
これは私が現実の仕事でジャーナリストとして行動する時の事を考えると、まさに自分の「生活」の再現でもあった。この演習において、私はこれまでアフリカ等で行ってきた仕事での訓練と同様だったのです。

基本的なユニフォーム、ブーツ、ベルト、パンツ、シャツはデザイン上かなり共通していますが、20世紀初頭の軍用ベルト/バックパックシステムは現在においては不便な部分も当然存在します。

Tsurumi「少尉」は、すべての装備が正しく着用され、必要な場合は緩める箇所も指示し、調整を手助けし始めました。
他のメンバーが服を着ているとき、彼らはお互いにこれをしました。
ストラップや背面の調整は自分では困難なものです。

歩兵ではない私は、将校用のミュゼットバッグ(小さなバックパック)を持ち、M1936ピストルベルトを装着しました。
バッグはストラップやベルトに付いているぶら下げギアに取り付けられています。
救急キット、食器、拳銃、予備の弾倉など、私が必要とするものはすべてそれにあります。







部隊が正確さを追求している中、ちょっと変わっているのは階級制度でした。
通常本部から任命された階級章を身につけ命令を出す側、出される側が明確にされるのですが、この部隊では階級にこだわりが無い様に見えた。
今日の中尉は次回は軍曹である場合もあるのです。固定されていない。
TsurumiはRangerであり、Nakanishiと共に士官をしていたが、それにはリーダーシップが必要です。

全員の着替えが終わり、次は補給品や物資、箱の山、そして個人装備が集積されます。
それらは個人的に収集したものの集大成であり、メンバー全員がいかに真剣に取り組んでいるかを示しています。
その後(発砲できない)銃器、主にガーランド(M1ライフル)の他、拳銃、トミーガン等が配布されました。
個人で所有している物の他、部隊から貸し出された武器も多い。
ほぼ全て実物銃器を使用するアメリカの再現と異なり、日本では法律の規制がありそれらを使用する事はできません。
その代わり最大限、日本で可能は偽の銃器を使用して彼らは活動しています。



私はカメラマンだったので、設営中にできる事は限られていました。
役割や言葉の壁だけが理由ではなく、設営作業もまた彼らの訓練の一環だったからです。
彼らは年に数度しかこの本部テントを建てれませんし、本部の設営には多くの作業があり、それらは貴重な訓練機会でした。

私はメンバーの1人Gotoを手伝いました。
Gotoは車から無線機のセットを運び出していました。
また私はそれまで気付いてませんでしたが、木箱や水缶の他に折り畳み式のベッド、椅子、机等もありました。
誰かがジェスチャーで「ベッドと机の1つはあなたの為だ」と教えてくれました。
彼らは上級部隊から派遣されてきた私が、仕事ができるよう、ふさわしい環境を整えてくれたのです。
また同時に、夜の寒さを体験するために私自身も多少の犠牲を払っても「リアル」にしなければならない事に気付きました。








次回へ続きます。
  


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2017年06月25日

BCo6月演習レポート vol.8 最終項

これまで7回に渡ってお送りしてきました6月演習レポもようやく最終回です。



攻撃終了後の仮眠休息も終わり、1000時よりAAR(AfterActionReview)を実施します。







本部で取っていた記録と攻撃参加者の記憶により、動きをつなぎ合わせ攻撃の成果や問題点を探ります。
また今回はドイツ軍側からも参加して貰い、より詳細で整合性の取れるAARが実施できました。

前回のブログで記した通り、判定としては攻撃は失敗でしたが参加者各位は様々な貴重な体験ができたと思います。
このような夜を徹して行う演習はなかなか実施するのは困難です。
特に統裁部や各指揮官による統率、安全管理をしっかりと設定しなければなりません。
参加者もまた、事前に教育をしっかりと行い、どのような事をするのかを把握する必要もあります。

普段からの教育がとても大切だと実感しました。

AARが終わると昼食です。



















昼食は自作の10in1レーションを分けて食べました。
メニューはクラッカー、ビーフベジタブルシチュー、コーン、フルーツカクテルです。

10in1レーションはその名の通り、10人分が1組になった缶詰、乾燥物を中心としたレーションで、5人分の分量は1st、2ndの箱に分けてあり、それが2組、計4箱で10人分、1日分の食事となります。
食事の他、トイレットペーパーやタバコ、マッチ等も入っています。
味の方はKレーションよりマシ、と言う所でしょうかw

なんとか10in1レーションが自作できるようになり、このような演習でも効果を発揮するようになりました。
これで10in1レーション、Kレーション、Cレーション、Dレーションと大戦中の歩兵が使用した携帯レーションは一応全種類作れるようになりました。
なお、時々「売って下さい」との申し入れが国内外からありますが販売はしてません。
私は立場上、儲けを取って販売する事はできませんし、かといって製作にかかる手間をタダでするのも厳しいです。
なので私のレーションはBCoでの活動やイベントで一緒に苦労し、再現活動に取り組んで下さる方に限定して、材料費のみで提供させていただいています。 ご理解下さい。

なお、ご自身で作りたいと言う方には喜んでデータもお渡しいたしますし、中身についても情報を開示していますのでご相談下さい。

以上で6月演習レポートを終わります。
参加者の皆様、大変お疲れ様でした。
またご協力下った皆様、ありがとうございました。

次回はMVGのレポートですかね。



インフォメーション

第二回となる日米戦イベント「この戦場は南方」が開催されます。
日本陸軍歩兵(兵階級)として参加可能な人員を募集いたします。

espg.militaryblog.jp/e847409.html

開催日時:2017年7月15(土)1000~16日(日)1600

参加費:4000円

開催場所:御殿場市内(詳細は参加者の方にのみお知らせします)

内容
イベントとしての想定は厳密には定められておりません。
ここでは1944年の南方島嶼守備隊を基本として装備の参考に上げさせていただきますが、イベント趣旨は軍装の正確さではなく行動を求めるものです。
なので、主催側から示される装備規定を満たしていれば参加可能です。

・前日より教練並びに訓練を実施、交流を深め、日本陸軍歩兵について学びあいたいと思います。
・期間中の食事(土曜昼~日曜昼の4食)は部隊で管理し、準備配食致します(飯盒等の供出お願いします)
・初日の教練および生活については、ここに参加に意思を示して下さった方で実施したいと思います。
・2日目は戦闘状況に入る為、主催側から指定される編成に入り、指揮官の指示により行動いたします。
※「この戦場は南方」に参加される日本兵全員を統制するものではありません。
 参加される中で、一緒に行動、生活したい方の募集です。

・必須項目(主催による)
鉄帽
戦帽
軍衣袴(襦袢可)
帯革
銃剣(合法の物)
巻脚絆(ゲートル)
編上靴(地下足袋可)
小銃(三八式 九九式 代用可)

その他、あると尚良い物
雑嚢 水筒 鉄帽覆い 擬装網 など

参考被服
九八式/三式夏衣袴 もしくは十七年制防暑衣袴も可。※濃緑不可
十七年制夏襦袢(いわゆる防暑襦袢)※濃緑不可
十三年制略帽 垂布
巻脚絆
雑嚢(後期の形式推奨)
昭五式/九九式水筒(昭五式水筒紐共※形式不問)
昭五式編上靴(表革など規格低下品可。茶皮のアンクルブーツ代用可) もしくは地下足袋も可。
九〇式鉄帽(偽装網装着)
襟章(織出製三式襟章推奨)着用要領については軍衣、襦袢共に吊下げ式台座使用とし、右胸物入れ上に着用。
1等兵、2等兵推奨。上等兵は事前もしくは当日指定。
吊下げ式階級章当日貸出し可能。

 兵器
三十年式銃剣(属品として帯革、剣差)
三八式歩兵銃。属品として前盒×2 後盒×1
(戦闘時にその他の火器を使用される方はご相談下さい。 なお、その場合でも教練は小銃での参加になります)
軽機関銃、擲弾筒等の使用可能な方も募集します。

・推奨項目(案)

 被服
靴下(白色のもの)
手袋(いわゆる軍手。全体が白色のもの)
十七年制夏袴下(いわゆる防暑袴下)※濃緑不可
九九式被甲(携帯袋共)
九九式背嚢(九三式背負袋可)
雨外套(九八式、三式)
携帯天幕(支柱、控杭共)
ロ号飯盒(いわゆる現代の兵式ハンゴーと同型のもの)
食器(箸匙アルミコップなど)
個人用偽装網
被服手入具(小刀、糸巻、保革油)
認識票
毛布
日用品

 兵器
九七式手榴弾
八九/九八式円匙
小銃実包(安全品)
(小銃用)油缶


 衛生材料
三九式包帯包

野営
大天幕使用による管理野営を予定。


土曜夜は状況を切り、宴会とする予定ですが極力雰囲気を保てるようご協力をお願いします。
※参加者の希望があれば夜間状況も考慮します。

上記内容は仮の状態です。
後日変更、修正して行きます。
まずは参加可能か否かの回答をお願い致します。

↓下記は主催の告知ページです。
ご確認をお願い致します。
espg.militaryblog.jp/e847409.html

参加申込みについては、基本各自でお願いします。
私の方でまとめて申込みも可能ですが、その際は御連絡下さい。
また、すでに申し込まれた方、これから各個に申込みする方もその旨、連絡下さると助かります。

なお関西から参加される方。ハイエース便4名まで乗れます。
14日(金)夜中に関西発、16日夜に関西着で行動予定です。


  


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2017年06月23日

BCo6月演習レポート vol.7



BCo、6月演習レポートも終盤です。
午前5時に一旦状況終了となりましたが、戦闘状況が終了しても兵士の生活は続きました。

明るくなり、付近の敵の掃討も終わった為、部隊は交代し第3小隊は集結地に戻り朝食となりました。
背嚢からKレーションを出して食べます。









現代日本で手に入る物で形成しているとはいえ、なるべく当時に近い物を選んでいるので決して美味しい物ではありません。
が、一夜の状況明けた後ではそれなりに美味しかった。。。のかもしれません。

後で1人の参加者は「とにかく疲れて味もなにも覚えて無い」との制作者にとってこの上無い嬉しい感想をくれました(笑)









実際、二世のベテランに聞いても戦闘状況ではほとんどKレーションかCレーションだったそうです。

今回は演習と言うことで連続して携帯レーションを食べる事になりましたが、少しだけでもその実感を味わって貰えれば、と思います。













食事が終わると同時に兵士達は空いた時間を仮眠に当てます。
また次の命令が下れば、今度はいつ寝れるか判らないのが軍隊です。
また、眠る前に小銃を整備する兵士も居ました。
本来は全員がやらなければいけない事ですね。

余談ですが、先日のNHKの日系部隊のドキュメンタリーでは、この点が抜け落ちていたのがとても残念でした。
9日間もの戦闘状況が続き、被害も勿論ですがまともに眠る事すら出来ない酷い状況だったのがボージュの戦闘でした。
普段なら犯すはずのないミスで命を落とした兵士も多くいた事でしょう。
ベテランの証言にも戦闘の終盤にもなると、どうでも良い、命すら投げやりになっていた状況が多く現れています。
その点を描いて欲しかったな、と言う思いです。





演習の統括を兼ねていた中隊本部も仮眠。
また報告書の作成も行っていました。

次回、6月演習レポート最終回です。


追記
今回の演習にご協力下さったドイツ軍側、黒騎士中隊様のブログにドイツ軍側から見た状況について詳細に記載されています。
双方の記録を突き合わせて見ると、また面白いですね。

http://kurokishi.militaryblog.jp/e860299.html

ご協力、ありがとうございました!  

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2017年06月21日

BCo6月演習レポート vol.6

MVG2017お疲れ様でした~ と言うことで、MVGはひとまず置いておいて6月演習のレポートを続けます(あと2回)














写真が暗くてなんだかわからないかと思いますが、実際に暗かったのでご容赦下さい。
午前3時半に全員を起こし(それまでもほとんど寝てませんが)、攻撃準備を行います。
0350には各自の装備を最終確認し、0400に準備完了、前進を開始します。

0410、統裁部により攻撃準備射撃の開始が両軍に付与されます。
B中隊は攻撃準備射撃の支援を得て攻撃開始線を通過し、斥候で解明したドイツ軍陣地の前哨の手前まで暗闇の中前進します。
また想定工兵中隊が前哨に沿って設置された障害、想定鉄条網を一部破壊し、突破口を開けます。
0430までに突撃発起点に到着できたB中隊は、そのまま突撃支援射撃を要請。
攻撃準備射撃は0430から突撃支援射撃に。























突撃支援射撃が後段となり、射程延伸を始めた直後、突撃が下令されました。
B中隊は想定工兵が開設した突破口から突入、ドイツ軍陣地へ一気呵成に駆け上がります。
何度も書いてますが、歩兵の突撃は日本軍だけではなく世界中の軍隊が行っている事です。
これなくして陣地の突破、占領はありません。また野砲や機甲、航空機だけでは絶対に制圧もできません。
※現代戦に多い、都市部の近接戦闘にも同様の事が言えると思います。

























MG陣地を手榴弾で破壊し、ドイツ軍陣地を突破、制圧するB中隊。
被害を出しながらも成功します。

※なお、この突撃は後のAAR(AfterActionReview 事後研究会)にて検証した結果、
・障害(鉄条網)についての解明不足。
・ドイツ軍陣地の位置の錯誤
等が理由で、鉄条網が開けておらず、更にMGのほぼ正面から突入していたため全滅、失敗と判定されました。








後の判定では攻撃失敗でしたが、とりあえず現状では状況が続きます。
陣内を制圧、掃討します。
なお欧州の軍隊では通常、この時点で降伏する場合が多かったようです。
すでに陣内に突入された段階で優位不利ははっきりしており、抵抗する意味があまりない為です。
逆に太平洋戦線で日本兵が恐れられたのは、このように戦闘の決した以降も抵抗を続けたからでしょう。

付近の掃討が終わったら、速やかに逆襲対処を行います。
具体的には歩哨を立てて敵方を警戒しつつ、敵の逆襲に備えた新たな壕を掘らなければなりません。

それらの指示を小隊長から受け、掘り始めたところで状況中止が下令されました。
時間は0500。
長い1夜が完全に開けた頃でした。

次回に続きます。
  


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2017年06月13日

BCo6月演習レポート vol.5

BCo、6月演習レポート第5回です。



日も沈み、だんだんと暗くなって行きますが状況は続きます。





第3小隊は1900出発、2030帰隊で夜間の1次斥候を出発させます。
昼間斥候では確認できなかった敵の配置、障害の位置等の確認が任務です。

出発時は薄暗がりでしたが、やがて完全に日は落ちて暗闇に。
いくつかの敵の壕と計4名の敵兵を確認するも障害の解明には至らず。

情報が少ないと判断した本部は再度斥候を下令。
2100出発、2230帰隊で2次斥候を実施。
結果、攻撃経路上に障害は発見できず。

この時点で情報は不十分でしたが、演習の都合もあって明朝未明の攻撃が決定されました。
0000時に小隊長は中隊本部にて攻撃命令を受けます。




※写真は昼間斥候時の物 イメージです

BCo攻撃命令
1.敵情 変化無し
2.大隊は10日(実4日)0430、カステリーヌHill147地域を攻撃奪取する。
3.
(1)中隊は4日0410集結地を出発、Obj.Bを攻撃奪取する。
(2)攻撃目標 Obj.B
(3)攻撃開始時刻0430
(4)
(5)
(6)攻撃準備射撃 0410-0430
(7)突撃支援射撃 前段5分 後段10分
以下略

攻撃命令を受領した小隊長は小隊に戻り、小隊本部にて分隊長に命令を下達します。



小隊本部と言っても広めに掘られた壕にシェルターハーフテントを屋根にて張ったもので、多少の明かりを出しても漏れない程度、のものでした。

その後、分隊長が分隊員に命令を伝達し、全員が了解した後に各自の壕に戻りました。
警戒壕の歩哨を交代で実施しつつ僅かな仮眠を取ります。
とは言え、命令下達が完了したのは午前1時。
0330時には全員を起して攻撃準備に移ります。

その間、ドイツ軍側も数度に分けて斥候をアメリカ軍集結地に潜入させ、動向を探っていました。

そして、攻撃の開始を迎えます。

次回に続きます。

インフォメーション
6月16~18日にかけて、軽井沢でサムズミリタリ屋主催によるWW2イベント「MVG2017」が開催されます。
各種軍用車両の展示、走行会やWW2サバイバルゲーム、リビングヒストリー展示等が予定されています。
BCoも歩兵中隊本部、並びにリメスエリアの展示及び糧食班の再現活動を兼ねて、他参加者向けの配食を実施予定です。
詳細はサムズミリタリ屋様Webサイトをご覧下さい。
配食については、当日イベントの受付にて配食チケットが販売されます。
金曜夜、土曜朝、昼、夕、日曜朝、昼の6食予定しています。
それぞれの食事について、受付にて1食500円で配食チケットをご購入下さり、BCoメスエリアにて配食を受けて下さい。
また食器洗浄場もWW2当時のシステムで再現、実際に使用していただけます。

もちろん食事を受けられない方の見学も歓迎しております。
是非みなさま、BCoメスエリアへお越し下さい。

http://www.sams-militariya.com/


  


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2017年06月12日

BCo6月演習レポート vol.4

6月演習レポートを続けます。



小隊長が陣地に戻り、1人遅めの夕食を取ります。
普通、将校は兵士達の間には入りません。
士官と下士官以下には明確な線引きが存在し、多少砕けた会話をする事があったとしても、一緒に楽しんだり騒いだりはしないものです。

下士官以下の分隊員は夕食も終え、ちょっと落ち着いた時間でした。
突然の落下音が風を切ります。







砲撃の状況を付与。
各自は掘ったばかりの壕や地面に伏せて身を守ります。





砲撃が止むと分隊長は速やかに人員の異常の有無を確認します。
まだ食事中だった兵士は、食事の異常の有無を確認していました。







副分隊長が負傷(想定)、負傷の程度は有線電話で中隊本部に報告されました。
本部では、戦闘続行は不可能と判断し後送を指示します。

副分隊長は分隊員に担がれて後方へと下がり、そのまま(想定)入院、戻ってきませんでした。

なお、この一連の状況想定は現実世界の都合で、その日に帰宅しなければならなかった者に対し、上記のような想定を付与する事で「自然に離脱」して貰おうというやり方です。

なかなか効果的ですが、配置によっては「いつ、彼が離脱したのか」わからないまま、いつのまにか見ない、なんてリアルな事も起こります。

以下次回。


インフォメーション
6月16~18日にかけて、軽井沢でサムズミリタリ屋主催によるWW2イベント「MVG2017」が開催されます。
各種軍用車両の展示、走行会やWW2サバイバルゲーム、リビングヒストリー展示等が予定されています。
BCoも歩兵中隊本部、並びにリメスエリアの展示及び糧食班の再現活動を兼ねて、他参加者向けの配食を実施予定です。
詳細はサムズミリタリ屋様Webサイトをご覧下さい。配食についてもサムズ様の方からお申込下さい。
http://www.sams-militariya.com/  

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2017年06月10日

BCo6月演習レポート vol.3




6月演習レポートを続けます。









堅い土、根、石等と戦いつつもようやく各自の壕が形になってきました。
落ち葉等で偽装し、少しでも敵からの発見率を少なくともします。











日も落ちようとする中、ようやく夕食にありつきます。
各自ハバーザックからCレーションを取り出して食べました。
Cレーションは戦前からある携帯レーションで、ビスケット、キャンディ、砂糖、コーヒー(本来はシロップ状なのですが、再現が難しく粉末インスタントで代用しています)が入ったBユニットと、肉と野菜の煮込み料理(何パターンかあります)のMユニットの2缶一組で構成されています。

味の方は多分に漏れず、と言った内容だったようですが(笑)





食事中も交代で警戒は続行されます。
分隊長は分隊員の状況を確認し、最後に食事を執っていました。





食事と前後して昼間斥候も実施。
明るい間の斥候は敵に発見されやすく、近くまで近接できないデメリットがありますが、同時にこちらも視界が開けますので遠距離から敵陣地、地形等を把握しやすいメリットもあります。





昼間斥候の結果を小隊長が中隊本部に報告に来ました。
中隊幕僚と調整し、次いで夜間斥候の命令を受領します。
昼間斥候で知り得た情報だけでは攻撃はできません。
更に近接して敵の配置、障害等を解明する必要があります。

歩兵部隊はこのような斥候を繰り返し実施し、攻撃に必要な敵の情報を得るのです。

また前線の小隊と中隊本部間に有線が構成され、有線電話が設置されました。
これで小隊→中隊本部間は有機的に接続され、リアルタイムな指導、報告がなされるようになります。
なお無線は通常、攻撃開始までの間は使用しません。


次回へ続きます。

インフォメーション
6月16~18日にかけて、軽井沢でサムズミリタリ屋主催によるWW2イベント「MVG2017」が開催されます。
各種軍用車両の展示、走行会やWW2サバイバルゲーム、リビングヒストリー展示等が予定されています。
BCoも歩兵中隊本部、並びにリメスエリアの展示及び糧食班の再現活動を兼ねて、他参加者向けの配食を実施予定です。
詳細はサムズミリタリ屋様Webサイトをご覧下さい。配食についてもサムズ様の方からお申込下さい。
http://www.sams-militariya.com/


  


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2017年06月09日

BCo6月演習レポート vol.2

6月3、4日に京都で「演習」を実施しました。
1夜2日(一泊、ではない)で状況下の行動を行うリエナクトメントです。
なお、今回の演習ではドイツ軍チーム「黒騎士中隊」に多大な支援をいただきました。
ありがとうございました。



想定
1944年7月 アメリカ陸軍第34師団第100歩兵大隊(独立)、B中隊第3小隊
イタリア戦線カステリーヌ地方での攻撃の状況でした。




昼食後の休息も束の間、前進命令が下る。




速やかに装具を調え、前進準備を行う小銃分隊。
小隊長が中隊本部にて前進命令を受領し、それを分隊長に伝えます。
分隊長は分隊を掌握し、時間を守って前進を開始。










集結地は攻撃の足ががりとなる地域で、まずは集結地を占領してじ後の行動に備えます。










集結地に敵影が無い事を確認し、味方部隊を誘導します。














集結地占領後はすみやかに陣地選定を行い、簡易な防御の態勢を取ります。
今回の任務は「攻撃」ですが、闇雲に敵陣に突っ込んでもまず攻撃は成功しません。
集結地を足がかりとして、斥候を出し敵の戦力、布陣、障害、地形、攻撃経路等について調べ、攻撃計画を策定する必要があります。
もちろん、その間には敵の襲撃や砲撃に備える必要がありますので各自は退避するための壕を掘ることになります。












戦闘状況ですので、交代で警戒を続行しつつ壕を掘ります。
アメリカ軍の場合、簡易な壕はまず横長の、伏せて敵の砲撃等から身を守れる壕を掘ります。
それが掘れたら拡張し、射撃ができる掩体へと発展させて行く事になります。

次回へ続きます。

インフォメーション
6月16~18日にかけて、軽井沢でサムズミリタリ屋主催によるWW2イベント「MVG2017」が開催されます。
各種軍用車両の展示、走行会やWW2サバイバルゲーム、リビングヒストリー展示等が予定されています。
BCoも歩兵中隊本部、並びにリメスエリアの展示及び糧食班の再現活動を兼ねて、他参加者向けの配食を実施予定です。
詳細はサムズミリタリ屋様Webサイトをご覧下さい。配食についてもサムズ様の方からお申込下さい。
http://www.sams-militariya.com/










  


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2017年06月08日

BCo6月演習レポート vol.1

6月3、4日に京都で「演習」を実施しました。
1夜2日(一泊、ではない)で状況下の行動を行うリエナクトメントです。
なお、今回の演習ではドイツ軍チーム「黒騎士中隊」に多大な支援をいただきました。
ありがとうございました。




想定は以下の通りです。

部隊想定
1944年7月 アメリカ陸軍第34師団第100歩兵大隊(独立)、B中隊第3小隊
イタリア戦線カステリーヌ地方での攻撃の状況でした。


1.状況

7月9日現在、主力後退援護を任務と見積られる約一個大隊の敵はHill147一帯を防御中である。


師団は11日0800、パスティナへ進出を企図し現在作戦準備中である。
大隊は師団の進出に先駈けてHill147北側一帯の敵を排除、同地を確保し師団の進出を援護する。西からA中隊、B中隊、C中隊の順に3個中隊並列で攻撃する。

2.命令

2BCo 前進命令
1 略
2 B中隊は大隊の前衛中隊となりHill147まで当面の敵を速やかに排除し前進せよ。


(1) 前進経路 州道33号線~Hill 147
(2) 前進体形 敵と接触まで小隊縦体
(3) 前進順序 当初1Pt、 HQ 、W Pt 、2pt、3Pt 、 の順
(4) 前進速度 3.5km
(5) 前進目標 Hill 147

4
(1) 1Pt : 前衛小隊となり中隊主力の前方200mを前進、敵主陣地を解明せよ。
(2) 2Pt:W Pt の後方50mを前進、側方を警戒せよ。
(3) 3Pt:2Pt の後方50mを前進、後方及び上空を警戒せよ。
(4) W Pt :1個60Msqd を1小隊に配属、
主力はHQ の後方50mを前進。側方を警戒せよ。

4 兵站
(1)糧食
2日分を携行。
(2)弾薬
BL分携行


(1)指揮
中隊長は中隊本部に同行。
(2)通信
   緊急時を除き、電波封止。
(3 合言葉
   バグ~ジッター









午前8時に現地入りし個人の準備。
本部の設営と並行して、統裁部(演習を統括し、想定などを与え、また指導する所です)による地形の確認等を行いました。






同時に今回、敵側となって防御していただくドイツ軍側への指導も行います。












準備が整い、10時から隊容検査を実施。
不要な儀式のようにも見えますが、各自の装備や健康状態を確認し、作戦に耐えうるかどうかを判断、足りない部分は補正させる為の大事な部分です。
BCoの「演習」では状況が続く限り、基本的に状況外の車両やセーフティエリアに戻る等の行為はできません。
よって必要な装備を整え、その全てを持って状況に入る必要があります。














態様検査終了後、食事が支給されます。
食事については3食分を同時に支給しました。
10in1レーション、Kレーション、Cレーションです。
そのうち10in1レーションのパーティアルユニットを昼食として食べC,Kレーションについては背嚢(ハバーサック)に入れて携行しました。




























統裁部を兼ねる中隊本部もやや後方に位置するとは言え、戦闘状況になるので食事は同様です。
各自が各々の場所でレーションを食べました。



食事後、行動開始までの僅かな時間に休息と取る兵士達です。
次回に続きます。


インフォメーション
6月16~18日にかけて、軽井沢でサムズミリタリ屋主催によるWW2イベント「MVG2017」が開催されます。
各種軍用車両の展示、走行会やWW2サバイバルゲーム、リビングヒストリー展示等が予定されています。
BCoも歩兵中隊本部、並びにリメスエリアの展示及び糧食班の再現活動を兼ねて、他参加者向けの配食を実施予定です。
詳細はサムズミリタリ屋様Webサイトをご覧下さい。配食についてもサムズ様の方からお申込下さい。
http://www.sams-militariya.com/


Movie of Reenactment 100th Battalion "Nisei Unit" U.S.ARMY Italy.Jun.1944//May 2017 In Japan
※5月キャンプ時に当時の機材で撮影したメスエリアの様子です。








  


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2017年05月19日

BCo5月キャンプレポート Ex. 番外編



前回、最終項と書いた2017年BCo、5月キャンプレポートですが、参加してくれたイリノイ出身の元海兵隊で、カリフォルニアの34師団リエナクトのメンバーでもあるリチャード君がレポートを書いてくれましたので、キャンプ中に「撮影されたプライベート写真」を合わせて紹介致します。
これらの写真は当時のカメラで撮影されたものです。

原文は英語だったので、間違いも多いかと思いますがつたない訳文を載せます。






1)キャンプ場は美しかった。山の中で連なる丘、まさに田舎の素晴らしい場所です。
日本のゴールデンウィークだったので、他の一般の方々の多くキャンプに来ていた。
その幾人かはミリタリーオタク(※ジープのイベントが開催さえていました)、他は休暇を過ごす家族や友人達でした。






2)週末のテーマはイタリア戦線における第100大隊のR&R(※休暇)だった。
第133歩兵連隊が長い休息、修復、訓練を受けていた1944年3月頃を想定した。










3)ラージウォールテントが中隊のキッチン(KP)として機能し、Kレーションの木箱や空き箱を利用したテーブルと椅子が置かれたフライシ-トがメスホール(※食堂)建てられたキャンプの光景はよく出来ていた。
これらの2つの天幕はアメリカのアームブロスター(WW2から実際に軍のテントを作っていたメーカー)からの新しいテントセットで、高価だが良い物だった。
ピラミッドテントは中隊本部として建てられ中隊長や中隊先任下士官、通信が勤めた。
GPミディアム(スモールウォールテント)は補給及び工具類等のテントとして機能し、その他の部隊機材、特殊な武器、及びキャンプの他の部分のためのコンテナの輸送用の保管場所だった(時代遅れのために隠されていた)。
金属製バケツのは現代の浸水式温水器でセットアップされていました(WW2型は日本では見つからず、輸入するには高価 ※買えない事はないが、ガソリンを使用するので個人輸入が困難)
ありがたいことに、デザインはあまり変わっていませんでした。
キッチンのバーナーも同様です。











4)彼らリエナクターは、多くのユニットと同様、非常に緊密なグループです。
誰もが迅速に、そして不平を言わずに動きます。
もちろん、彼らは一意の日本人ですが、国家に関係なく同類であると思います。
彼らは歴史や装備について語ったり、冗談を言ったり、物語を話したり、馬に乗ったり、時間外にはグループのリラクゼーションを楽しんでいます。


5)すべてのアイテムは高い水準でオリジナルに近い置換が行われ、ハイエンドの再現だった。非常に良いです。
彼らは確かにJ. Murray Inc(※米国のM1ヘルメット専門店)を高く評価している。







6)日本では持てる銃器に制限ある為、彼らの焦点はWW2の兵士の訓練とキャンプ生活に置かれている。
私たちは通常、空砲射撃に適応した武器があり、「公開ショー」を行うので、西洋ではあまり表現いないものがあります。
そのため個人訓練、分隊行動、爆破。野戦電話操作、砂盤の建設および使用、コンパスの使用および地図の読み取りに至るまで、厳しいスケジュールが守られました。
すべては、戦闘ではなくトレーニングであるという考え方で行われました。






7)多くはJSDFのメンバーであり、様々な職種の上級者、指導者、経験豊富なメンバーである。
大部分の "軍事的専門知識"は話されていません。
しかし伝える事が可能な時は適用されます。
メンバーと最初に会った時、多くの人は自分自身を紹介しなかったので私はJSDFであることを知らなかった。
また大変興味深いメンバーに京都の僧侶が居ます。




8)座学は重要です。
野戦の基礎訓練、それを指導した方は精通した、素晴らしい教師でした。
言語の壁(私の日本語力は単語とフレーズを覚えているだけで、会話には不十分)があったがコンパスの使い方、方位角や逆回転、位置の三角測量等を実施した。
これらは本当の軍隊のように講義とディスカッションが最初に行われました。
当初、座学で練習をしていましたが、少しの休憩後には山を登って実地訓練を行いました。






9)
彼らはアメリカ人である私を特に歓迎していた。
実際には言葉が通じてないにもかかわらず、週末には素晴らしい友達関係を確立しました。
私はゲスト、名誉ある人、あるいはまったく別の人であるかどうか分からなかったので、いくつかの点では迷っていました。
私はいつも必要に応じて手伝いをしていましたが、配食のような他の時には、中尉として並ぶように求められ、私は後ろに並んで待ちました。
伝統として部下を先に食べさせようと思ったからです。

どうやら、ユニットのリーダーの考えは「あなたは私たちのゲスト」と感じました。
ユニットリーダーが昼休みの間にそう言った後、私は彼のゲストとして従う事が彼の為と考えた。
それにもかかわらず、私はまだどこでも可能な限り手伝っていきます。






10)多くのReenactorと同様に、複数のタイムラインにわたって複数のインプレッションが広がっています。そこに驚きはありません。

11)一部のメンバーには戦争中の親戚がいて、日本帝国軍に在籍していた人もいましたが、100/442RCT自体に親戚がいた人もいました!(※誰? 間違い?)

12)最初の夜に私たちが集まったのは、書籍、映画、映画の登場人物のリーダーシップに関するグループの「ブルセッション」(初心者の部屋)のメモの興味深い議論であり、 IJA / IJNに関する話題と、ディック・ウィンタース大尉とハリー・ウェルシュ中尉の言葉が私でも理解できた。


13)多くのリエナクトグループ(※アメリカの)と彼らはとても似ており、様々なグループの様式に注目した。
彼らは戦争における兵士に似せた演技をする必要はありませんでした。
(※自然体だった、と言う意味かな?)

チームやグループ単位で様々な事に取り組んでいた。
私たちの深夜の "ブルセッション"は通常、様々な与太話に費やします。
またグループの話題についての議論が必要でしたが、彼らは伝統的なニセイの曲(アロハ 'Oe、100大隊の歌など)で盛り上がった。生ハムとチーズは酒と一緒に楽しめました。

撤収。
全員が協力してキャンプをたたみ、すべてのものを適切な所有者に編成し、そのすべてを車両に「テトリス」するために、私たちのクリーンアップにはしばらく時間がかかりました。

その後、コンビニに再集結しアイスクリームや軽食で満たされました。
そこでお別れの挨拶。
また来月(※6月3,4日)に京都で実施するイベントに招待されましたが。私はその時はアメリカに帰国しているので参加できないです。

私は心のこもったサヨナラを下手な日本語で表すよりも「アロハ」と言いました。
それはハワイでの挨拶。こんにちはだけでなく、またの再会を示す言葉でもあるからです。

素晴らしい時間をすごせた事に私は感謝します。
先任さんが私を招待してくれました。
また新たな友人が増え、更に彼らはこの活動を広めたいと願っていました。
日本以外の国のリエナクターにも。
私はSNSで彼らを示してします。
彼らの活動を見て下さい。

(※現代日本の)状況を考えれば、彼らは非常に優れていると思います。
この野営地は言ってしませば自分自身と趣味のためですが、しばしば欧米でも見過ごされるGI Life(または歴史的な軍隊の生存者)の側面に焦点を当てています。






Now that I'm in a reflective mood, my experiences of reenacting with the 100th Battalion Reenactors here in Japan:

1) The campsite was beautiful. Out in the country, very hilly and mountain-y, and a great location. It was Golden Week in Japan (three holidays in a row), so many others were out camping as well on their normal holiday. Some were military otaku, others were just families and friends out for the holiday.

2) The impression theme for the weekend was a period of R&R for the 100th in Italy. I wasn't quite sure of when, but I would place it approximately around March of 1944 when the 133rd Infantry (as well as the rest of the 34th) had a long period of rest, refit, and training.

3) The camp was well built, with a large wall tent serving as the Company Kitchen (KP) and a fly put up as a Mess Hall with K-rat and other empty crates serving as our benches and tables. Both of these were apparently new tent sets from Armbruster in the US (an original manufacturer of WW2 tents). Pricey, but I see why, the stuff is darn good. A Pyramid tent served as the Company Command Post with excellent setups for a signals operator, the commander/1st Sgt, and the company clerk. A GP medium served as Supply/Artificer and was storage for misc unit gear, extra/specialist weapons, and transporting containers for other parts of the camp (hidden due to being anachronisms). Metal trash cans were setup with modern immersion water heaters (originals are hard to find in the states, let alone Japan and would cost probably double just to ship a single piece. Thankfully, the designs hadn't changed much, as for the kitchen ranges and burners which were put to use for feeding us.

4) These reenactors are a very tight group, like many units. Everyone pitches in quickly, and without complaint. Of course they are uniquely Japanese, but I noticed that reenactors appear to be cut from a similar cloth, no matter their nation. They enjoy talking about history and equipment and the particulars thereof, telling jokes, telling stories, horseing around, and some group relaxation in the off-hours.

5) All their items appeared to be of high-quality, either original, close substitutions, or high-end reproductions. Very commendable. They certainly hold J. Murray Inc in high regards :D

6) Their focus, due to firearms restrictions in Japan, is more upon the training and camp life of Soldiers in WW2. Something not often portrayed in the West, as we usually have some sort of "public show" to put on with our weapons adapted to blank fire. Therefore a tight schedule was adhered to with training events ranging from drill, individual and squad maneuvering, demolitions, field telephone operation, construction and use of a sandtable, compass use and map reading. All done with the mindset that it is training, not combat.

7) Many are members of the JSDF, and most of those are senior ranked enlisted, instructors, or experienced members in their respective MOS's. For the most part, that "military expertise" is left at the door, but it is applied when needed. Upon first meeting with the members, many I would not have known they were JSDF if they hadn't introduced themselves as such. One particular funny member is a Buddhist Priest in Kyoto.

8) The classes were prime. Very basic courses in the fields, and their subject matter experts are well versed and great teachers. Even with the barrier of language (my Japanese was only good enough to catch certain words and phrases, not enough to put things together), I knew when the instructors were discussing topics such as Magnetic Declination, use of the compass, azimuths and backazimuths, triangulating one's location. Much like a military class, a lecture and discussion was held first, with some hands on practice "in the class" and after a short break we would go do some more practical work regarding the topic-at-hand.

9) They were particularly welcoming of me, despite being an American, and were accommodating, and friendly. In fact, I established some awesome friendships in only a weekend, despite language barriers. I was at a loss at some points as I wasn't sure if I was being a guest, a person of honor, or just another one of the guys. I always wanted to pitch in help when needed, other times like the chow line, I'd wait towards the back since I was asked to come as an officer (2nd Lt), old traditions of "letting the lower ranks eat first" die hard. Apparently, the unit leadership felt that the same as well as "hey you're our guest." After their unit leader insisted during one of the lunch breaks, I assumed it was his prerogative to insist that I do so as his guest. Regardless, I still would try and help out wherever I could.

10) Like many reenactors, they have multiple impressions spread across multiple timelines. No surprises there.

11) Some members had relatives that were in the war, both in the Imperial Japanese Military and some even had relatives in the 100th/442nd RCT itself!

12) An interesting discussion of note on the first night during our group "bull session" (another typicality of reenactors everywhere), was what I gathered was a discussion of leadership of characters in books, movies, and films, and it was being compared to that of the IJA/IJN. Mentions of Major Dick Winters, as well as Lieutenant Harry Welsh were caught.

13) Like many reenacting groups they are quite close, many group rituals were noticed. They didn't need to fully portray the closeness of Soldiers in War, as they were quite enacting it in reality. Errands were done as teams and groups. Our late night "bull sessions" usually required some discussion of a group topic before splitting to various side conversations, there was singing of traditional Nisei tunes (Aloha 'Oe, 100th Infantry Fight Song, etc), during which a smoked(? maybe raw?) pork line and cheese were shared and enjoyed alongside drinks. Our cleanup took some time as we banded together in the sudden heat to break the camp and organize everything to the right owners and "tetris" all of it into their vehicles. This was met shortly thereafter by a group trip to a local "conbini" (convenience store, 7-11 in this case) for ice cream, and road trip snacks and drinks. Again a ritualistic sharing of goodbye's and "until next times" were shared. Again I was invited to an event in Kyoto next month. Sadly I wouldn't be able to make it since I would be back in the States by then.

It was a heartfelt series of goodbyes as we went our ways, but they were particularly proud of my attending and glad to have me come back. In my elementary Japanese I told the group that I wouldn't say "Sayonara," but in Hawaiian tradition: "Aloha" representing the welcoming hospitality and the possibility of meeting in the future.

All in all, it was a grand time, and I'm thankful Hide Koda-さん had invited me. A great band of new friends, and IMO, some "damn good Joes," they asked that I spread the word of what they are working towards here to the reenactors outside of Japan, I know many follow their groups or individuals on social media, and see part of what they do.

I think they do very excellent given their circumstances, and this encampment was strictly for themselves and their hobby and they performed it admirably, focusing on an aspect of GI Life (or the live's of historical militaries) that IMO go often overlooked in the West.
  


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2017年05月16日

BCo5月キャンプレポート vol.6 最終項

6回にわたってご紹介してきました、2017年BCo5月キャンプレポートですが、ようやく終わります。
今回は戦闘状況等が無かったので、各種訓練に時間を割いて取り組む事ができました。



訓練開始前にミーティングを実施し、これから行う訓練について説明が行われます。














最初の科目は有線電話と電話線の構成について。
場所の制約上、近距離ではありましたが有線構成について実地で行い、野戦電話を接続、交話を行いました。
電話機の整備、保管状態が悪く、やや接続できない等の事がありましたが。。。。済みません。
なお、実物(及び戦後同型)を使用していますが、現代人の感覚からすると音量はとても小さいです。
戦闘中などは受話器を押し当てないとほとんど聞こえないでしょうね。これは無線も同様ですが。








引続き、爆破資材についての教育を行います。
爆破等は大規模な物は工兵の仕事ですが、歩兵も取り扱いを学び、任務によっては実施する必要があります。
当然の事ですが爆薬などはダミーで製作しており、実際に爆発等はできませんよ。
なお「爆破」と言いますと、橋や建物を爆破するようなイメージがありますが、歩兵の攻撃において必須とも言えるポピュラーなものです。
敵の防御線には必ず障害が設置されています。
地雷原であったり、鉄条網であったりその他の地形障害物などですが、それらを突破して攻撃を行うにはこのような爆破資材が必要となります。

そしてまた、爆破によって障害を処理するためには通常、支援の砲撃(突撃支援射撃=assault support
fire )等が必要となります。
これらが有機的に実施され、初めて歩兵の攻撃が成り立つのです。
単純な鉄砲の撃ち合いではなく、歩兵の戦闘と言うのは大変複雑です。
もちろんその全てを趣味の世界で再現する事は不可能ですが、知識としてそれらを知り、想定の中で行動する事がリエナクトメントの戦闘において重要となります。
















さて、小銃小隊が訓練と座学で身体と頭に汗をかいてる頃、KP(糧食班)は昼食の支度をしています。
キャンプ最後の食事、という事もあってもっともポピュラーなメニューの再現を実施しました。
なお、ここで言うポピュラーとはありふれた、主用と言う意味であり決して「兵士に人気のあった」ではありませんw














ポーク&ビーンズ、オートミール、マッシュポテト、スクランブルエッグ、フルーツカクテル、コーヒー。
実にアメリカンな味わいでした。








お腹を空かせてたのか、小隊の連中は美味しそうに食べてました。
KP長はフルーツ以外、全て嫌いな食べ物なのでほとんど食ってませんw











昼食後、撤収に移りました。
今回は2年前の御殿場キャンプに次ぐ参加人数と、LargeWall、LargeFlyと言う大きな天幕が届きかなり大規模に実施する事ができました。
参加、ご協力くださった皆様に大変感謝しております。
今後も様々な活動をしていきたいと思いますので、よろしくお願い致します。


以上で5月キャンプレポート本編は終了ですw
次回は6月演習の予定を発表いたします。



  


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2017年05月14日

BCo5月キャンプレポート vol.5

2017年BCo、5月キャンプレポート、その5です。



あ、今更ですが「BCo」について。 BCoって何?って話を見たので書いておきます。
「B-Company=B中隊」です。
WW2期のアメリカ軍は通常、12名で1個小銃分隊、3個小銃分隊で1個小銃小隊、3個小銃小隊と火器小隊で1個歩兵中隊、3個歩兵中隊と1個重火器中隊で1個大隊、3個大隊で1個連隊を編制しています。
我々がよく表記しています「BCo/100Bn」は第100歩兵大隊B中隊の意味です。

多くの軍隊では歩兵がもっとも自分達を意識する単位が中隊であるとされています。
独立して行動可能な戦闘単位の最小規模であり、中隊長(通常少佐、または大尉)と中隊幕僚(中尉)、本部にS1(人事)、S2(情報)、S3(作戦・訓練)、S4(補給)の各下士官が配置されています。
歩兵中隊内の内訳については本サイト「アメリカ陸軍歩兵中隊の編制」を参考にして下さい。
歩兵中隊を構成する人員、火器について一覧にて示しております。
なおこれは編制上の数値であり、実際には多少の例外(主に発生するのは人的、階級的不足)があるのは普通ですが、火器について大きく変わる事はありません。
それは上級部隊の弾薬補給活動にも大きく関わりますので、突然短機関銃がたくさん配備されたりはしないのです。

さて、キャンプ3日目の朝を迎えました。





毎度お馴染みの光景ではありますが、同じことが飽きても続くのが軍隊ですのでご理解下さい。
なお後方地域を想定して実施していますが、朝の起床時間は定められており、きちんと起されます。
せっかくの休日に集まって行う再現キャンプですので、起床からきちんと体験していただいています。








前日同様KP(糧食班)は小銃小隊が起床する1時間以上前から起き、フィールドレンジに火を入れて朝食の準備を始めます。













朝食のメニューはパンのホワイトソースかけ、スクランブルドエッグ、茹でアスパラガス、コーヒーでした。
実はメニューに1点間違いがありました。
フルーツ類の支給が無かった事です。
当初、この日の朝食はオレンジジュースを配る予定で計画していましたが、途中でコーヒーに変更しました。
その際に飲物がフルーツを兼ねる事で省略していたデザート、ビタミン分を補填するのを忘れていたのです。
もちろんKP長たる私の責任です。済みませんでした。

パンのホワイトソースかけですが、ホワイトソースにミンチ肉や野菜を入れて加熱したソースを食パンに絡めたもので、これもアメリカ軍で大変ポピュラーなメニューです。
映画やドラマにもよく登場していますし、私がハワイの第100大隊ベテランズクラブを訪れた際も「歓迎」の為に用意されたWW2再現メニューがこれでした。
実際食べてみて、我々が作っている物とまったく同じだった点に感動しました。

なおどうでも良いエピソードとしては15年くらい前にうちのグループ代表が、教練会で初めて食べさせてくれた再現レーションもこのパンのホワイトソースかけでした。












見た目はともかく、実は結構美味しいメニューで今の日本人が食べてもいけると思います。
みなさん、あっと言う間に平らげてました。






食事後は食器の洗浄。
同じような光景が毎日繰り返される、当時は当たり前の事ですが、これを現代に行うのはなかなか大変です。








食事後、訓練開始までの間に写真を撮ったり髭を剃ったり。






今回はちゃんとユニフォーム着て集合写真撮れました。。。。w

※2年前、最大規模で集まった時に集合写真を撮り忘れ、台湾のミリタリー誌に私服の集合写真が見開きで掲載される失態がありました。。。



次回(たぶん最終回)に続きます。  


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2017年05月13日

BCo5月キャンプレポート vol.4

2017年 BCo5月キャンプのレポート4回目です。



3日間実施したキャンプの中で、今回は2日目午後の訓練風景を紹介します。










砂盤演習。
地面に作成した地形、敵味方の配置駒等を使用して行うシミュレーションです。
実際に即した状況を俯瞰する事でより理解を深めることができます。
この日は攻撃時の小銃小隊の行動について学びました。
※WW2期のアメリカ軍FM(フィールドマニュアル=教範)よりわかりやすく抜粋し教育しています。

初期の教育や、複雑な行動が絡む場合等はこれらを利用した予行演習=戦闘予行が極めて有効です。
ちなみに戦争映画等でこれら部隊の行動をきっちり描いているような作品はほとんど無いと思います。
書籍ですと上田信氏の「コンバットバイブル」にマンガ形式で解説されていますが、多くの人はそれほど読み込んでいないように思います。








引続き、実際に動いての訓練を実施しました。
事前に状況や命令についての説明を行い、これから行う訓練がどういう物か理解してもらいます。
当たり前の事をやっているようですが、この当たり前の部分は国内ほとんどのイベント等では行われていないのではないでしょうか?










丘の頂上を攻撃奪取する命令を受け、小銃分隊としての前進要領を実地で行いました。
合わせて個人の動作についてもその都度教育していきます。
本来はそれぞれ時間をかけて教育していく部分ではありますが、そのあたりは「趣味」のための時間、場所等の制約もあって省略もあります。































個人の前進、組の前進ついで分隊の前進について実施しながら学んでいきます。
40年代のアメリカ軍(のみならず、当時ほとんどの軍隊)の小銃の銃口は上向で教育されています。
銃口(の方向)管理もまた重要なポイントです。
もちろん当時の写真等で例外は存在しますが、基本形というのはとても大切です。
過去に何度も書いていますが、銃の保持要領はお金をいっさいかけずにリアルさを増す、効率のよい方法です。

サバイバルゲーム等では小銃の持ち方等は自由ではありますが、せっかく軍装に似合ったかたちをやってみると良いと思いますし、管理面でも安全です。
※日本軍やドイツ軍では前進時、通常は右手1本で銃の中心付近を保持し、やや銃口が上向きになるように持ちます。






訓練終了時、AAR(AfterActionReview)と呼ばれる事後研究会を実施しそれぞれの良かった点、反省、改善点などを挙げて次回以降の訓練に活かします。
これも面倒がらずに実施する事で訓練効果は向上するでしょう。
















小銃小隊が訓練で汗を流している頃、KP(糧食班)は夕食の準備作業です。
夕食のメニューはチキンヘカ=ChickenHekka。
現在ではハワイの郷土料理で日系人が持ち込んだとされている、鳥のすき焼きのような料理です。

日系兵士達は戦地で農家等から得た野菜や鶏肉をコンソメと砂糖で味付けをして煮込み、ヘカを作って食べた事が様々な書籍やベテランの証言にあります。
またヘカは後方地域で待機中に個人間で集まって作った話や、糧食班が作って配った話もあります。
今回は鶏肉は軍の糧食、野菜は現地調達という想定で食材を用意しKPが調理しました。

同時にコメも炊きます。
当時の日系兵士達の多くは、故郷の家ではコメで育った者が多く、軍の糧食は合わない人が多かったそうです。
イタリア戦線、第5軍の司令官マーク・クラーク中将は日系兵のコメ好きを理解しており、そこら中の部隊からコメを集めて日系部隊に送っていたそうです。
日系部隊の補給係もまた、他の白人部隊からポテト等と交換でコメを手に入れ、握り飯に調理したというエピソードも残っています。
決して毎日食べれるわけではなかったのですが、だからこそコメの食事に大変喜び、また携帯食が続くと「あぁ、コメが食べたい」と言っていたそうです。

現代人たる我々もコメを主食として育っています。
リエナクトも3日もするとコメの食事が大変ありがたく、美味しく思えます。













配食ラッパが響き、腹を空かせた兵士達が並びます。
このときもそうでしたが、当時もヘカやコメを見て日系兵士達は大変喜んだことでしょう。












多めに準備したつもりでしたが、あっと言う間にオカワリの行列ができ、無くなってしまいました。

次回は3日目のレポートとなります。















  


Posted by 先任  at 18:00Comments(0)リエナクト

2017年05月12日

BCo5月キャンプレポート vol.3

2017年BCo5月キャンプ、レポート第3回です。



2日目、午前中の続きです。








KP(糧食班)は、ミンチマシーン(手回し式)を使用して、牛肉のミンチを作ります。
このミンチマシーンは1930年代初頭頃の民生品ですが、ほぼ同型の軍用品を中隊KPも保有しています。
実に単純な構造で、最初見た時は「本当にミンチになるの?」と思いましたが、どうして立派なミンチ肉が作れます。
今回は牛肉4.6kgを加工しましたが、思ったよりスムーズで30分程ですべてミンチになりました。
出来上がったミンチに繋ぎ粉を加えてよく捏ね、ハンバーグステーキを作ります。








フィールドレンジで一気に焼き上げます。
火力は強いM2ガソリンバーナーですが、フィールドレンジの構造上の距離と、平鍋の厚みで良い感じに焼けました。





マッシュルームスープはキャンベル(当時からあります)の缶詰を使用。
付け合せなども調理して完成、配食です。











ソースはケチャップベースのケチャップですw
子供の頃に映画「史上最大の作戦」を見て以来、憧れ続けていた軍隊の配食。
それがかなりのレベルで再現できるようになって嬉しい限りです。








小銃小隊の兵士達も午前中の訓練で身体使ったせいか、すごい勢いで食べていました。










午後からの訓練。
小銃の取り扱いについて中隊火器係下士官が指導しました。
ここでは正しいスリング(負い革)の調整法について講義しています。
M1ライフル等で大戦中に広く使用されていた革製のスリングは現代の目からはちょっと変わった構成になっており、その取り付け方に悩んだ方も多かったのではないでしょうか?
かく言う私も最初は映画「プライベートライアン」のパンフレットを見ながら取り付けたものです(間違ってましたw)

正しい用法、と言うのはきちんとした理由があり、それを学ぶのはとても大切です。












火器係下士官による余興「目隠し分解結合」
※モデルガンです。念のため

六四式の話などを聞くことはあっても、生で見るのは初めてです。
すごかったですw

レポート4に続きます。



インフォメーション。
6月3,4日に京都宇治市近郊にてBCo6月訓練を実施します。
参加資格は「戦う気があるなら誰でもウェルカム!」です。

詳細は後日発表いたします。
基本装備は今回の5月キャンプとさほど変わりません。
1944年夏のイタリア戦線第34師団所属中の第100大隊B中隊を想定します。
参加の希望、詳細の問い合わせはお気軽にどうぞ。
  


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2017年05月10日

BCo5月キャンプレポート vol.2

2017年余呉キャンプレポート、その2です。

今回は2日目の様子から。
















兵士達の寝床は後方地域であっても基本的にはシェルターハーフとなります。
通常2人1組で張り、2人1組で寝ます。
狭いと感じるかもしれませんが、慣れれば必要充分、そして1人で寝るより暖かいです。
大型のピラミッダルテント等も使用する事はありますが、その場合は連隊や師団単位で用意した後方の休息地域となります。
なお第100大隊では初期の訓練期を除くと末期シャンパンキャンペーンやヴェダの宿営地でピラミダルテントでの宿営を見ることができます。



下級将校もシェルターハーフを使用しますが、通常1人で寝ます。
ベッディングロールと呼ばれる将校用の寝具巻きが使用され、一般兵よりは暖かく寝れるようになっています。
が、どれほどの将校が安眠できたでしょうか? ほとんどは寝る暇などなかったのではないかと推察します。












KP(糧食班)は兵士達が起床するより1時間以上前から起き出し、フィールドレンジに火を入れて朝食の準備を開始します。
粉末卵は当時ポピュラーな食材で、あらゆる物に使用されましたが、中でもスクランブルドエッグは最たる物だったようです。 もちろん「美味しい」と言う評判ではありませんw










もう一つの「ポピュラー」メニュー、スパムです。
もはや説明の必要も無いかとは思います。
しかしながら、ハワイ兵の中では好評だったようで戦後もすっかりハワイに根付いてしまいましたね。










デザートのフルーツカクテル缶詰めを開け、コーヒーが沸いたら朝食準備完了です。
後方地域ですのでビューグラー(ラッパ手)が配食ラッパを吹奏します。
















メインミールはシリアル。10in1レーション用のものです。同レーションから缶ミルクと砂糖が出されました。





美味しかったですか?ww








食事が終わったら食器を洗います。
洗浄ラインも再現しました。
4つのバケツは残飯用、洗剤入り洗浄用、濯ぎ用、濯ぎ+消毒用となっており、残飯用以外にはガソリンヒーターが入っており、お湯が沸いています。
驚くほど簡単に食器が洗えます。












朝食後、小銃小隊は訓練を開始します。
訓練に必要な装備は下士官を通じて伝達され、勝手な装備を身につける事はありません。
訓練開始に当たって諸注意や統制事項、訓練内容について小隊長から示達を受けます。








午前中の科目はコンパス使用法と地図判読。
基本的な項目ではありますが、実際にやってみるとなかなか難しいものです。
国土地理院発行の地図と実際の地形を合わせながら講義を実施しました。


















更にコンパスと地図を使用しての前進要領を実地で行います。
知ってる土地、見えている地形だと簡単に思えますが、基礎ができなくてはいけません。










山麓まで登り、更に視界が広がった所で山等の地形と自分の位置を合わせ、確認します。
本などで得る知識と違い、簡単な地形であっても実地に見ると非常に理解が進みます。
「実際にやってみる」リエナクトの一つの醍醐味であると考えます。











訓練を終了し、行軍隊形で宿営地へと戻ります。
そう言えば、行軍も一度(と言わず、ですが)やらなければいけない、と考えています。
最も、行軍の再現は難易度がかなり高いものです。
充分な距離が取れる場所を探すだけでもかなり困難ですが、脱落や不慮の事態に備えた様々なバックアップ体制も必要になります。
おそらく身体へもさることながらブーツ類にもかなりの負担になるでしょう。

装備付けて「行軍してる写真を撮る」だけなら簡単なのですが、それはReenactとは呼べませんね。

次回へ続きます。

インフォメーション。
6月3,4日に京都宇治市近郊にてBCo6月訓練を実施します。
参加資格は「戦う気があるなら誰でもウェルカム!」です。

詳細は後日発表いたします。
基本装備は今回の5月キャンプとさほど変わりません。
1944年夏のイタリア戦線第34師団所属中の第100大隊B中隊を想定します。
参加の希望、詳細の問い合わせはお気軽にどうぞ。






  


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2017年05月10日

BCo5月キャンプレポート vol.1



BCo5月キャンプ、無事終了致しました。
今回から数回にわたってキャンプレポートを上げて行きます。









まず今回の想定。

1944年6月 イタリア戦線 チビタベッキア近郊 後方地域
サン・ガレーノ高地の戦闘を終え、ローマ北方にて442連隊と合流すべく待機中。

部隊
B Co/100Bn(Separate)/34Div










エリア全体の写真です。
今回は今年の初めに日本に届いたラージウォールテントとラージフライの初展開ともなりました。
それぞれKP(調理場)とMessHall(食堂)の天幕として使用いたしました。
おかげでかなりメスエリアのグレードアップが図れたかと思います。
バケツの湯沸し、イミュレーションヒーターも4台全部を投入。
洗浄ラインのハバケツ4個と配食ラインのバケツも設置できました。
もちろん食後の食器洗いとして実際に湯を沸かして運用しましたよ♪









KP内部の様子。
フィールドレンジ(野外調理器)は戦後型ですが、実際に使用し3日間調理を行いました。
調理器具も、その多くがWW2期の実物やその同型品を使用しています。
缶詰類は現代の物ですが、ラベルをWW2期のものに張り替えてあり、実際に中身が入っており、3日間の食事で消費しました。
豆や粉物の袋の中身はダミーです。








初日の昼食はコンビーフハッシュ・サンドウィッチとオレンジジュースでした。
レシピは米軍のマニュアルにあるものです。

なお、通常宿営地に到着した最初の食事はKPが立ち上がっていない場合は携帯レーションとなります。









12名分の食事台しか用意できませんでした。実際はもっと多くのテーブル、椅子があることでしょう。
なかなか輸送力の問題で、テーブル4つは厳しかったので2台のみ製作、設置しました。











簡易な昼食の後、KP内の機材と食材の整理を行い、夕食の支度に移ります。
今回は役20名分の用意なので比較的余裕持ってできましたが、本来は100名以上の分量を捌かねばなりません。
糧食班に休みは無く、常に実戦です。







Messhallのボードにメニューを書きました。
兵士達へのサービスの一つですね。





夕食はパンとポークチョップ、茹でブロッコリー、クラムチャウダーでした。
クラムチャウダーはマンハッタン風で、トマトベースの物です。
1940年代では今のクリームタイプよりこちらの方がポピュラーだったようです。

以上で初日のレポートを終わります。
次回は2日目。



インフォメーション。
6月3,4日に京都宇治市近郊にてBCo6月訓練を実施します。
参加資格は「戦う気があるなら誰でもウェルカム!」です。

詳細は後日発表いたします。
基本装備は今回の5月キャンプとさほど変わりません。
1944年夏のイタリア戦線第34師団所属中の第100大隊B中隊を想定します。
参加の希望、詳細の問い合わせはお気軽にどうぞ。



  


Posted by 先任  at 09:40Comments(0)リエナクト

2017年03月21日

リエナクトメント 迫撃砲班 Vol.8(最終)

8回に渡ってお送りしてきました迫撃砲班リエナクトレポートも今回が最終です。








射撃任務を終え、後方に下がって弾薬補充を命ぜられた迫撃砲班。
すみやかに移動を開始します。

占領地域で後退しますので、警戒も緩めることができ穏やかに山を下ります。





しかし迫撃砲弾薬がなくなったとは言え(実際には無くなってません)、装備も水を吸って大変重く、軽い足取りとはいきません。














集結地まで後退し、食事をとります。
全体的にはまだ戦闘中のため、支援体制が確立していませんので携帯レーションになります。
クラッカー、缶詰、チョコレートバー等ですがよく動いた為もあって美味しく頂きました。













食後にレーションに入っているコーヒーを入れて一息つきます。
なお、レーション箱を燃やしてカップのお湯を沸かすやり方は、私が聞いた100大隊ベテランからは「それはしなかった」と言われています。 後方ならストーブがあるし前線なら火は焚かない、と。
確かにその通りなのでしょうね。
今回、他に湯を沸かす方法が無かったのと、安全化が図られていると言う事でやりました。








食事後は集結地を撤収し、次の移動を開始します。
全ての装備、被服が水を泥を吸ってメチャクチャ重くなってました。
しかし弾薬がダミーな分、実際よりはかなり軽いんですよね。
あらためて、兵隊の大変さを感じました。

以上で今回の迫撃砲班リエナクトのレポートを終わります。



参加の方々、レポート読んで下さった皆様、お疲れ様でした。
またよろしくお願いいたします。

次回は5月3~5日に滋賀県余呉でキャンプを実施予定です。
こちらは後方地域の比較的「緩い」キャンプとなります。興味ある方は是非、参加してみて下さい。

近く詳細は発表いたします。
※mixiには発表しております。 http://mixi.jp/view_event.pl?comm_id=4658122&id=82126782








  


Posted by 先任  at 15:03Comments(0)リエナクト