2021年08月21日

1人でもリエナクト。Vol.2 アメリカ陸軍第100歩兵大隊B中隊第1小隊小銃手 1942年10月 キャンプマッコイ

Covid-19の影響は残念ながらまだしばらくは継続しそうですね。
BCo/100Bnでは、集まっての活動が困難であることからしばらく大きな活動は停止しています。

しかしながら「1人でやるならば、流行り感染症の危険性は少なく可能ではないか」
また、たまにみかける「仲間が居ないのでできない」と言われる方への実践的アドバイス、応援が可能ではないかと考え、今回ば管理人の先任1人での1夜2日リエナクトメントを企画、実施してみました。

想定としては1942年10月のキャンプマッコイにて訓練中のアメリカ陸軍第100歩兵大隊B中隊第1小隊の兵士をモデルとし、訓練での1夜2日の行動の一部を切り取って再現すると言う流れで計画しました。
今回はそのレポートの第2弾です。
夜間斥候と、翌朝についてレポートいたします。

使用した装備、被服については前回のVol.1をご参照ください。

今回は戦闘の再現ではなく、戦闘を模擬した当時の訓練の再現体験です。
もっとも、自分1人のみで行っているため、命令や報告等はすべて省略しています。

また夜間はまったく写真が撮れない為、翌朝に同様の行動の一部を再現して、広報用に撮影しました。
戦闘を模擬した訓練の再現の夜間行動の撮影の為の再現です(何書いてるのか自分でもよくわからない)


※翌朝に再現撮影したもの。


※翌朝に再現撮影したもの。

20時より小隊本部から命を受け、夜間斥候に出発。
約500m程前進して想定上の敵を探ります。
ほぼ真っ暗でほとんど見えませんが、雨のおかげでこちらの音も消されます(誰も聞いてませんが)
途中、何度か大きな木を目印として記憶しましたが、帰り道に迷いました。
21時までに帰隊、報告と決めていましたが戻ってこれたのは21時10分でした。
なお、万が一に備えて電灯を携行していますが、使用していません。
小隊本部へ報告(想定)後、個人掩体へ戻って仮眠。

雨音がシェルターハーフを叩き、止んだら虫の音が周囲に広がります。
狭い穴の中で身じろぎもし辛く、なかなか寝付けませんが、軽く1時間程眠れました。

2300に小隊本部に呼ばれ、再度夜間斥候に。


※翌朝に再現撮影したもの。


※翌朝に再現撮影したもの。

2320に出発。 前回とは違うルートで進みます。
何度も木に引っ掛かり、足を取られ、蜘蛛の巣に絡まれ、小銃を投げ出したい気持ちになってきます。
普段は軽々と持っているM1小銃が本当に重く、邪魔になります。
しかし、いつ敵と遭遇するかもしれない斥候任務で小銃は手放せません。

汗と雨と露と泥まみれになりながら、0030に帰隊。
小隊本部に報告の後、個人掩体へ戻って仮眠を取ります。
残っていたBユニットのキャンディを口の中へ。
甘い。本当に美味い。
安物のキャンディ1つでこんなに幸せを感じれるなんて。

やはりリエナクトは素晴らしい!

横になりながら翌朝の行動を整理します。
本来ならば深夜に起床し、準備し、攻撃を行う状況ですが、本部から翌朝の攻撃が中止になる事を伝えられていました。
0800には開始点まで後退しなければなりません。
※家族から、事情により0800までに帰宅を命ぜられましたw

ふと思い出したように煙草を吸います。
汗や雨でグズグズになりつつありましたが、ちゃんと着火し、至福の時を味わえました。
やはりリエナクトは素晴らしい!

なお、掩体の中で光が漏れないように喫煙しています。
まだ状況を開始してから5本くらいしか吸ってない事に気付きました。
雨や作業や斥候や色々の上、掩体に入ると出すのが面倒でなかなか喫煙する気にならなかったのが原因ですかね。

翌朝の行動がだいたい纏まったのでそのまま仮眠へ。
実際は歩哨に立ったり色々あるのですが、省略したので4時間も寝れました。



0530 起床。
あたりは薄っすら明るくなっています。
雨は上がっていて、掩体内もほぼ乾いていました。

ものすごい空腹です。
明るくなったので、昨日食べ損ねたMユニットの開缶に挑戦します。



合法的に切断された銃剣を用いて四苦八苦の末、なんとか開きました。
破れるように開いた隙間からスプーンを突っ込み、貪るように食べます。





大嫌いなポークビーンズでしたが、めちゃめちゃ美味かったです。
やはりリエナクトは素晴らしい!

食事後は戦闘状況から解放されたので、穴の外で気持ち良く喫煙。
しばらくぼーっとした後、移動準備を行います。
水筒の水は1/3を残せました。

天幕を片付け、背嚢を組み直し、ブランケットロールを連結。

※想定外として穴の埋め戻し、現状復帰を行います。

すべての装具を背負い、車まで戻って状況を終えました。

以上が今回のレポートです。
反省点としては、思いつきに近く、準備を開始したのが前日。
結果として、CレーションがWW用に使用してる缶で作れなかったので、夕食をきちんと喫食できない事に繋がった点。
また、いつもリエナクトで使用するポケットナイフが見つからず、その準備が出来なかったのも反省点ですね。

構築掩体については、前段でも書きましたが規定の深さまで掘れておらず、また長さもわずかに短かったので、それは改善を要する点でした。

また、記録を残す為、広報の為とは言えスマホ置いてセルフタイマーで撮影するのはリエナクトの主旨からは外れるので悩ましい所ですが、まぁ仕方ないかなと。
コロナが悪いw

状況報告、安否報告の為にスマホを使用しましたが、状況中は報告のみで使用し、だらだらとTLを眺めるような事はしませんでした。
そこは個人的に良かったと思っています。

また、今回の主である「1人でもやる」と言う点は充分に実証できたかと思います。
1人でやる事による不便さ等もありましたが、自分1人なので変な妥協もせずにやれたのが良かったですね。

次はいつになるか判りませんが、また実施したいと思います。

あ、いや。
希望としては、メンバーでやりたいものですね。

一日も早い正常化を祈るのみです。
祈るだけではダメですね。

密を避け、マスク、うがい、手洗い。
みんながきちんとやれば、必ず克服できると信じています。






  


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2021年08月20日

1人でもリエナクト。Vol.1 アメリカ陸軍第100歩兵大隊B中隊第1小隊小銃手 1942年10月 キャンプマッコイ

Covid-19の影響は残念ながらまだしばらくは継続しそうですね。
BCo/100Bnでは、集まっての活動が困難であることからしばらく大きな活動は停止しています。

しかしながら「1人でやるならば、流行り感染症の危険性は少なく可能ではないか」
また、たまにみかける「仲間が居ないのでできない」と言われる方への実践的アドバイス、応援が可能ではないかと考え、今回ば管理人の先任1人での1夜2日リエナクトメントを企画、実施してみました。

想定としては1942年10月のキャンプマッコイにて訓練中のアメリカ陸軍第100歩兵大隊B中隊第1小隊の兵士をモデルとし、訓練での1夜2日の行動の一部を切り取って再現すると言う流れで計画しました。

被服はデニム作業服 Junper,Working,Denim,Blue Spec 6-125B(1940年8月7日採用。の2ndタイプ)と、Trousers,Working,Denim,Blue Spec 6-124A(1933年型の1stタイプ)。Hat Denim Blue(1937年採用デニムハット)。
WW2開戦前後の国内訓練では、これらの作業服や更に古いブラウンデニムのものが混在して使用されていました。
※身に着けているのは日本産のリプロダクション。

靴は本来1933年採用のSHOES,SERVICE(タイプI)の使用が妥当ですが、所持していないため1941年9月に調達が開始されたタイプIIの国内産リプロダクションで代用しています。
Leggings,Canvas,M-1938,Dismounted レギンス(脚絆)は初期型と呼ばれる事の多い、カーキ色真鍮無垢金具のタイプを使用。


小銃は当時最新式だったM1ライフル(United States Rifle, Caliber .30, M1)を使用。
この頃は03ライフルとM1ライフルが混在して使用されていた形跡があります。
※使用しているのは国内産モデルガンを1942年仕様に改造を施したもの。



ヘルメットもこの頃には依然のM1917/M1917A1皿型ヘルメットから、M1ヘルメットへと移行しています。
ライナーは初期のファイバー製の物が使用されていました。
※シェルは実物。ライナーはリプロダクションを使用。



HaverSack M-1910(1910年型ハバーサック後期型)(背嚢)にbayonet M1942(銃剣)とScabbard M3(銃剣鞘)。
Shovel,Intrenching M-1910 & Carrier(通称Tハンドルシャベル)、Poach,Can,Meat(ミートカンポ-チ)内に1918年型Can,Meat(ミートカン)及びカトラリー。ハバーサック内には自作リプロダクションのC-レーションを3食分(1食分はダミー)。



ハバーサック下部に取り付けたCarrierPackに予備下着、Poles,Tent,Shelter(テントポール)、Pins,Tent,Shelter,Wood(テントペグ)5本、Line,Tent Shelter,Half,Guy(テントロープ)、Blanket,Wool,OD,M-1934(毛布)を包んでロールにしたTent,Shelter,Half(シェルターハーフテント)。

WebベルトはBelt,Cartridge,Dismounted M-1917(カートリッジベルト後期型)、Cover,Canteen,Dismounted M-1910及び Canteen M-1910、Cup M-1910(水筒及びカップ、水筒カバー)、Poach,First Aid Packet M-1910(包帯ポーチ・包帯)

Service Gas Mask M2A2 & MIVAI Carrier(サービスガスマスク)。








今回は戦闘の再現ではなく、戦闘を模擬した当時の訓練の再現体験です。
もっとも、自分1人のみで行っているため、命令や報告等はすべて省略しています。

また夜間はまったく写真が撮れない為、翌朝に同様の行動の一部を再現して、広報用に撮影しました。
戦闘を模擬した訓練の再現の夜間行動の撮影の為の再現です(何書いてるのか自分でもよくわからない)











1530 前進開始。
本来ならば朝からまる一日行軍してくるような状況ですが、諸事情により夕刻から翌朝までの時間のみとなりましたので省略しています。

1600 集結地着。
個人用掩体構築開始。







夕刻となって多少気温も下がったとは言え、まだまだ暑いです。
熱中症を警戒し、30分に5分休憩し水分を取る。
今回、水筒1本で翌朝まで過ごすつもりだったので、水分補給は一口のみで。





体調に異変を感じたら即休憩、水分多めに摂るつもりでしたが、幸いにも体調を崩す事無く作業が続けられました。



今回、個人掩体構築に選定した場所は、土質は粘土質でまぁまぁ掘り易く、大きな石も出なかったが(大きい物で15cm×15cm×20cm程度が数個)、木の根が思った以上に張っていたので苦労しました。
ハンドアックスは通常、歩兵分隊には無く、ピックマトックも分隊に1本で通常はBAR掩体に使用します。
その為、小銃手はTハンドルシャベル1本で掘るのが基本となります。

幸いにも実物のTハンドルシャベルは、要領良く使用すれば穴を掘るにはとても使いやすく、また木の根等も切断することが可能です(大変ですが)



なんとか日没前に概成。
とは言え、規定より少し浅く、また廃土の処置をしていない点は反省。



完全に暗くなる前に夕食を摂ります。
Cレーションは、肉と野菜の煮物系のMユニットと、クラッカー、キャンディ、コーヒー等からなるBユニットの2缶セットで個人の1食分です。



しかし、ここでトラブルが起こりました。
本来、WW2のCレーションは缶に付属するキーでクルクル回して開缶(コンビーフ缶詰等で良く見られる方式)で、缶切りを持ち運ぶ必要はありません。
しかし、自作Cレーションはキー式開缶の再現は現時点で不可能なので、通常の缶詰の開缶方式となっています。
そこでポケットナイフに付属する缶切りで開けていた最中、缶切り部分が折れてしまいました。
Bユニットは開いたもののMユニットは開けられず。
銃剣(安全切断済み)で開けようかとも考えましたが、既に暗くて手元が危険と判断し、無しで過ごす事に決めました。
夜中、かなり空腹で厳しかったですが、思わぬトラブルのおかげで、前線の兵士達の多くが感じた空腹感を多少味わう事ができて、幸運でした。



コーヒー飲まないので、途中でBユニットに付属する角砂糖を舐めました。
めちゃくちゃ美味かったです。
角砂糖でこんなに幸せを感じる事ができるとは!
リエナクトは素晴らしい。



日も沈んで暗くなってきたので、掩体に天幕を張って雨に備えます。
備えます、と言うかずっと降ったり止んだりが続いていて、色んな物が濡れてグチャグチャになりつつありましたが、被服については雨なのか汗なのかよく判りません。

構築中は上着を脱いで、タンクトップで作業していましたが作業終了後は早めに上着を着ます。
冬場の状況でも大事な事ですが、人間「寒い」と感じてからいくら着こんでもなかなか暖かくはなりません。
まだ暑い、と思っているうちに着こんだ方が良いです。

Vol.2に続きます。

  


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2019年09月15日

2019年BCoサマーキャンプ ハワイ1941 vo.3(最終)

約10年ぶりにBCoの海岸サマーキャンプが復活しました。
今回は1941年暮れのハワイ298歩兵連隊を想定部隊とし、被服装備も合わせて開戦直前のもので実施いたしました。



サマーキャンプのレポート最終項をお送りいたします。








朝を迎えます。
日中は地獄のような暑さでしたが、夜半には気温も下がり夜風が気持ちよく快眠できました。












KPは朝から汗だくの調理作業。














一方、分隊員は洗顔、顔剃り等兵士の日常を楽しんでました。
いえ、KPも「日常」ではありますがw










朝食メニューはアメリカ陸軍の代名詞「SOS」!
それに野菜入りスクランブルドエッグ(当然粉末タマゴ使用)、パインアップル、オレンジジュースがメニューでした。
一応Stuff On a Shingleなんて優しい事書いてる本もありますが「Shit on a Shingle」ですねw
”屋根の上の〇ソ」 つまり鳥のアレって事でしょう。
思えば20年近く前、初めてN軍曹が「WW2の再現食だ」と言って食べさせて貰ったのもコレなら、2012年にハワイの第100歩兵大隊ベテランズクラブへ行った際に「今日はあなたが来るので特別にWW2の再現食です」と言って出してもらったのもコレでした。
(まさかハワイ、ベテランズクラブまで行ってSOS食わされるとは思わなんだw)










朝食後は休養日課でのんびり。
言ってる間に昼食の準備です。
















昼食はパン、ビーフステーキ、フレンチフライ(ポテト)、野菜コンソメスープ、フルーツカクテルでした。








午後からは海に入りました。
大変気持ちよかったです♪








海から上がったら真水被ってスッキリ。






以上でBCoの2019年夏キャンプのレポートになります。
冒頭にも書いてますが10年ぶりの海岸キャンプでしたが大変楽しかったです。
暑さがちょっとこたえましたが、次回はもう少し対策して実施しようと思います。

来年もまた、できれば2泊3日での実施をしたいと考えてますので、ご興味ある方は是非ご参加下さい。
なお、来年も今年同様に想定は41年ハワイでやります。
初期装備の無い方は、1年ありますのでしっかり準備して行きましょうw


宣伝です。
第6回軍装交歓会『吉野会』が9/23(月祝)に大阪本町シキボウホール7階小ホールにて開催されます。

※今回の吉野会は事前登録制ではございません。
※一般来場者の完全軍装及び迷彩服を着用してのご入場はお断りさせていただきます。
※前回までの吉野会とは会場が異なりますのでご注意くださいませ。



当ブログ管理人の「先任」も各種(中古)軍装品、及び糧食関係リプロラベル(お値打ち)販売を予定。
また、なんらかの日系部隊またはWW2アメリカ陸軍に関する展示を実施予定です。
是非、皆様お立ち寄り下さい。

リエナクトメントや日系部隊に興味がある方のご質問や情報交換(買い物無しでも)も大歓迎です!




  


Posted by 先任  at 18:00Comments(0)リエナクト

2019年09月11日

2019年BCoサマーキャンプ ハワイ1941 vo.2

約10年ぶりにBCoの海岸サマーキャンプが復活しました。
今回は1941年暮れのハワイ298歩兵連隊を想定部隊とし、被服装備も合わせて開戦直前のもので実施いたしました。

今回は2019年サマーキャンプのレポート第2弾をお送りいたします。




昼食後。色々と計画はありましたが休息を取り体力回復に努めることに。
ちょっと動けるような気温ではなかったですね。
間違いなくハワイより暑かったです。
命令や計画通り実施するのも軍隊ですが、状況に合わせて臨機応変な対応も時には必要です。
特に安全に関しては優先して管理する必要があります。
















土嚢による陣地等の構築法について。
夕刻になり、少し気温も和らいできたところで訓練を実施。
今回は場所が場所だけに見た目が「ギラギラしない」訓練を行ないました。








土嚢は比較的イメージしやすい構築資材ですが本来の土嚢の積み方は多くのイメージとは違います。
土を満タンまで積める事はしませんし(破れ易く、また変形しにくいので適切な積み方ができない)、ただ積み重ねるだけでなく形状を整えてキッチリと積みます。
また、1列並べただけでは銃弾は止める事ができません。
3ftの幅が必要となります。
もちろん前線で常にそのようなキッチリとした構築ができていたわけではないでしょうが、訓練は基本に則って実施しなければ効果が上がりません。
なお、このような土嚢の積み方は某国国防組織だけではなくアメリカ陸軍でも規定されています。








訓練前の記念写真。






日が沈む前に支援員は夕食の準備に取り掛かります。
今回、輸送能力の問題からスモールウォールテントを用いてKPとしましたが、めちゃめちゃ暑くて大変でした。






夕食のメニューはパン、ハンバーグステーキ、マッシュポテト、茹でブロッコリーとミネストローネ、ピーチでした。

夕食後は休息日ですので飲酒も許可に。
写真はありませんw

次回へ続きます。






現在発売中のアームズマガジン10月号、及び前号となる9月号の「リエナクトメントのススメ」コーナーにおいて、本年4月に開催しましたリエナクトメント「イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere”」が紹介されています。
イベントの内容のみならず、リエナクトメントを開催するにあたっての運営側の準備、運営などについても紹介されていますので、興味のある方、そして野外でのイベントを企画、運営されている方は参考に(なる部分があれば)していただければ、と思います。
  


Posted by 先任  at 17:00Comments(0)リエナクト

2019年08月20日

2019年BCoサマーキャンプ ハワイ1941 vo.1



約10年ぶりにBCoの海岸サマーキャンプが復活しました。
今回は1941年暮れのハワイ298歩兵連隊を想定部隊とし、被服装備も合わせて開戦直前のもので実施いたしました。

今回から約3回にわたって、サマーキャンプのレポートをお送りいたします。












まずは設営。
BCoは快適に過ごすためにはどんな苦労も厭いません。
最初に生活の中心となるM1934ピラミダルテントを建てます。
ほぼ毎回のように建てているテントですが、砂浜ではいつものようには行きません。
ペグは穴を掘って地中に埋めます。









ピラミダルが建ったら、寝床を組み立てて搬入します。
M1943ピラミダルテントは本来8人用で、開戦頃までその割り当てで使用されていましたが、開戦後には分隊編制が変わった事により10人用となります。
今回のメンバーは8人でしたので余裕を持って使用できました。
また夏場ですので、風を通すため側幕はめくって止めます。








続けてラージフライを建てます。
これはラージウォールテントのフライシートでしたが、独立してタープの様に使用される事が多く、我々も今回はメスホール(食堂)として使用いたしました。







フライが建った所にテーブルを運び込みます。
このテーブルは組み立て式で、米軍の正規なものではありませんが、このような現地調達によるテーブルは多く使用されていました。






最後にスモールウォールテントを建てます。
これは将校用の寝所や、通信、医療用など様々な目的で使用された中型テント(歩兵の携帯用を小型とすると)ですが、今回は部隊規模が小さいので調理場として使用いたしました。






調理場の完成後、水嚢に水を溜めます。
水嚢はキャンバス製で、36ガロン=136Lもの水を入れる事が可能です。
中で浄水する事で、不衛生な水も使用可能になる、とマニュアルでは謳われていますw
実際、ゴミなどは中央に沈むか浮くので蛇口からは出ません。
また熱放射作用が働き、意外に温度も上昇しません。










完成した料理場でさっそく初日の昼食を作ります。
サラミハムとレタスとケチャップマスタードソースを塗ったパンで挟んだサンドウィッチです。
これは当時のARMYレシピにあるものです。











KP(調理員)が働いている間、他の兵士は休息を取ります。
気温や環境を考慮して、適宜に休息を取る事も軍隊の再現では必要です。
実際の軍隊もそれなしでは維持するのは困難でしょう。












「メスコール!!」
KP長の声が響き渡ります。
サンドウィッチとオレンジジュースによる昼食が配布されました。






最後の画像は10年前、2009年に同じ場所で実施したキャンプのものです。
少しは成長したでしょうか?

モノクロの写真は「PH-47E(annivesary speed graphic)」と言う当時のカメラを所有するメンバーが撮影したものです。 オリジナルの写真との区別化のため、「Reenactment」のロゴを入れています。

次回へ続きます。
  


Posted by 先任  at 17:45Comments(0)リエナクト

2019年06月16日

イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere” レポVol.8(最終項)

2019年4月28~29日にかけて開催しましたリエナクトメント、「イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere”」のレポート第8項(最終項)をお送りします。


数年前から温めてきた、小規模でも内容の濃いリエナクトメントをやろうとの企画でしたが、今回​​戦史研究団体 Lueders Kaserneの協力を得て、開催に漕ぎ着ける事ができました。

想定時期は1944年6月の中部イタリア。
ローマを開放し、北上する連合軍の尖兵として進撃する第100歩兵大隊。
対するはドイツ陸軍の主力後退を支援する、第162歩兵師団隷下のトルキスタン義勇軍第1野戦大隊。
戦史において記述と地図から読み取れるのはここまでです。
この先の中隊、小隊以下の行動に関して残る記録はありません。
当時の状況から、何パターンもの想定が考えられる中で、充分起こりえたと考えられる状況を両軍参加者に付与し、1夜2日をュミレートして実施致しました。



戦闘状況が終了し、集結地に戻った分隊は(AAR実施後)朝食となりました。













10in1レーションの朝食メニューはシリアル、スパム、アスパラ、パインアップル、コーヒー。
すべて缶詰もしくは箱にパッキングされたものです。

昨日から携行食のKレーションしか食べてない身には、温食(と言っても暖かいのはコーヒーのみでしたが)のありがたみが染みます。
まぁブログ管理人はコーヒー嫌いなんで飲んでませんがw

朝食後は演習場の復旧作業。
障害を撤去し、掘った穴を埋め戻します。

少し休んで昼食。
またも10in1.













メニューはポークビーンズ、クラッカー、フルーツカクテルにコーヒーでした。


さて。
今回は多少濃い内容の戦闘リエナクトメントとして一般公募で実施してみました。
米軍側とドイツ軍側でそれぞれレギュレーションを定めて参加者を募集する形態も初めてやってみましたが、まぁ米軍側はいつも参加してるメンバーでしたねw

天候や不慣れな面もあり、多少問題も生じたのは残念でしたが、統裁側としては良い経験を積ませていただきました。
参加者の側からはどうだったでしょうか?

ドイツ軍で参加された方で、ブログにまとめておられる方がいらっしゃいますので紹介させていただきます。
イタリアンフロント1944参戦記録 Battle of Belvedere


さて、次回は夏キャンプの予定です。
暫定的ですが2019年8月11~12日に静岡近郊でBCo夏訓練キャンプを実施予定です。
想定は1941年12月ハワイを考えています。
近くレギュレーション等、詳細を発表予定です。

よろしくお願いいたします。








  


Posted by 先任  at 22:44Comments(0)リエナクト

2019年06月09日

イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere” レポVol.7

2019年4月28~29日にかけて開催しましたリエナクトメント、「イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere”」のレポート第7項をお送りします。



数年前から温めてきた、小規模でも内容の濃いリエナクトメントをやろうとの企画でしたが、今回​​戦史研究団体 Lueders Kaserneの協力を得て、開催に漕ぎ着ける事ができました。

想定時期は1944年6月の中部イタリア。
ローマを開放し、北上する連合軍の尖兵として進撃する第100歩兵大隊。
対するはドイツ陸軍の主力後退を支援する、第162歩兵師団隷下のトルキスタン義勇軍第1野戦大隊。
戦史において記述と地図から読み取れるのはここまでです。
この先の中隊、小隊以下の行動に関して残る記録はありません。
当時の状況から、何パターンもの想定が考えられる中で、充分起こりえたと考えられる状況を両軍参加者に付与し、1夜2日をュミレートして実施致しました。








ドイツ軍撤収後の陣地へ攻撃をかけた米軍ですが、突入してようやく陣地が無人である事に気付きます。
レポート第4項に記した通り、ドイツ軍は主力の後退に成功したため、この陣地を放棄して夜間の間に撤退していました。

実際、ベルヴェデーレ近郊での戦史を見ると異常なくらいの速度で第100歩兵大隊は前進しており、このような例は少なからずあったことと考えます。

中隊は残置された機材や装備を確認しつつ、敵の生き残りが居ないか掃討します。








本来の想定に無かった事ですが、陣地内に1名のドイツ兵が残っていました。
(彼は米国人で、言葉の疎通が一部上手くいかず、また「どうしても捕虜になりたかった」ようでした。このあたり、日本もアメリカも変わらない部分があるのでしょうね。)

幸い(?)にも言葉もあまり通じず、相手が何を考えてるか判らなかった為、捕虜としても緊張感を維持する事ができました。

対抗戦形式では起こり得る想定外ではありますが、このあたりは統裁部の裁量と言う所でしょう。

攻撃成功後周囲の警戒、逆襲対処が下令された所で状況中止といたしました。








徒歩にて戻り、整列して人員の異常の有無を確認します。
野外イベントでは必要な事ですが、実際の軍隊であっても人員と健康状態の確認は行なわれます。当たり前ですね。












状況が終了したところで、ドイツ軍と合同でAAR(事後研究会)を行ないます。
今回はアメリカ軍集結地から始め、野営した退避壕、歩哨壕を見学して回り、その後は斥候の侵入経路やドイツ軍側歩哨の位置、障害の位置、更に攻撃経路等をお互いにその意図を併せて説明し、両軍で確認しました。
これは全体の流れを把握できると共に、次回への参加者の良い教育になったものと思います。

さて、このレポートもあと1回で終わりです。
次回は飯ネタです。



  


Posted by 先任  at 13:12Comments(0)リエナクト

2019年06月03日

イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere” レポVol.6


2019年4月28~29日にかけて開催しましたリエナクトメント、「イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere”」のレポート第6項をお送りします。



数年前から温めてきた、小規模でも内容の濃いリエナクトメントをやろうとの企画でしたが、今回​​戦史研究団体 Lueders Kaserneの協力を得て、開催に漕ぎ着ける事ができました。

想定時期は1944年6月の中部イタリア。
ローマを開放し、北上する連合軍の尖兵として進撃する第100歩兵大隊。
対するはドイツ陸軍の主力後退を支援する、第162歩兵師団隷下のトルキスタン義勇軍第1野戦大隊。
戦史において記述と地図から読み取れるのはここまでです。
この先の中隊、小隊以下の行動に関して残る記録はありません。
当時の状況から、何パターンもの想定が考えられる中で、充分起こりえたと考えられる状況を両軍参加者に付与し、1夜2日をュミレートして実施致しました。

今回は一夜明けていよいよ攻撃です。









斜面での前進が続きます。
雨でぬかるみ、滑り易くなっているので慎重さも必要です。
攻撃準備射撃が始まり、頭上を味方砲弾が飛び越えて行きます(想定)









これは裏の取れていないエピソードですが、当時のドイツ軍では第100歩兵大隊を山岳部隊と見ていた、との話があります。
43年から44年冬にかけての彼らによる高地戦は、そのような印象を与える進撃っぷりだったのでしょう。
そこまで我々が再現できているなど思いもしませんが、迅速な山地機動を誇れる部隊であったことは戦史で証明されています。














突撃発起点に到達。
0アワーを待ちます。
装填と弾薬を確認。 状況により着剣します(今回はしていません)




突撃支援射撃開始。
砲弾が敵陣地に落ち、その防御力を削いで視界を奪います。
※今回は花火とハチトリでその射撃を再現しました。








分隊長がBAR班に指示を出し、BAR班は味方の突撃を支援できる位置へ移動し態勢を整えます。






突撃支援射撃の前段最終弾が落下。
BARが支援射撃を開始。












突撃開始。
突撃支援射撃は後段へと移行し、砲撃は延伸されて敵陣地後方へ落下します。
砲撃の通り過ぎた陣地前面、その態勢が整う前に投入しなければなりません。
突撃の経路は、夜間斥候の情報を元に定められています。

















突入したアメリカ軍は、障害の突入路を通過すると、瞬時に横隊へと展開し、敵陣地を広く攻撃していきます。
ようやくアメリカ軍は、ドイツ軍の撤退を確認する事となりました。
敵陣地はもぬけのカラだったのです。

以下次回。





  


Posted by 先任  at 23:27Comments(0)リエナクト

2019年05月18日

イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere” レポVol.5

2019年4月28~29日にかけて開催しましたリエナクトメント、「イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere”」のレポート第5項をお送りします。



数年前から温めてきた、小規模でも内容の濃いリエナクトメントをやろうとの企画でしたが、今回​​戦史研究団体 Lueders Kaserneの協力を得て、開催に漕ぎ着ける事ができました。

想定時期は1944年6月の中部イタリア。
ローマを開放し、北上する連合軍の尖兵として進撃する第100歩兵大隊。
対するはドイツ陸軍の主力後退を支援する、第162歩兵師団隷下のトルキスタン義勇軍第1野戦大隊。
戦史において記述と地図から読み取れるのはここまでです。
この先の中隊、小隊以下の行動に関して残る記録はありません。
当時の状況から、何パターンもの想定が考えられる中で、充分起こりえたと考えられる状況を両軍参加者に付与し、1夜2日をュミレートして実施致しました。
















一晩中雨が続く中、掘った穴にシェルターハーフテントで屋根を張っただけの寝床でアメリカ軍参加者は朝を迎えました。
全員を起床させた後、健康状態を確認します。
野営に限らずですが、野外活動を行なう際は必ず健康管理を行なうようにして下さい。

速やかに装具を整えます。
アメリカ軍の場合、攻撃後も前進の継続が予想される場合は背嚢まで背負って前進することになります。
天幕、毛布については今回は残置させました。








装備、被服を確認した後、攻撃命令について確認し、更に詳細な指示を示します。
また攻撃においては特に、支援の砲撃や隣接部隊に合わせる為に時間厳守で行動しなければなりません。
すべての準備が整った段階で、時間を確認し前進を開始します。














前進の形態や隊形はその状況(主に敵との距離)に応じて変化します。
まだ敵から発見される位置にないため、姿勢も高いままで縦隊で前進します。
ただし、敵の攻撃準備破砕射撃に対応できるよう、また万が一敵に発見されて射撃を受けた場合も、被害の極限ができるよう、個人間の距離は広めに開きます。












攻撃開始線を越えて、斜面に差し掛かります。
このタイミングを隣接部隊と合わせなければなりません。
昨夜何度も斥候が確認した経路です。
攻撃準備射撃の開始時刻が迫ります。

















(想定)攻撃準備射撃が開始されました。
頭上を越えて飛んでいった砲弾が敵陣地へと次々と落下し爆発します。
この直接効果と、煙覆による間接効果の下で部隊は突撃発起位置まで前進します。
砲弾には「もちろん限りがあり、準備射撃もまた時間と弾数に制約を受けます。
決められた時間までに前進し、到達しなければなりません。

急な斜面も一気に超えて急ぎ前進します。

以下次回。


MVG2019浅間各国歩兵科掩体等展示~ざんごーExpo'19~」のお知らせ




  


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2019年05月13日

イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere” レポVol.4

2019年4月28~29日にかけて開催しましたリエナクトメント、「イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere”」のレポート第4項をお送りします。



数年前から温めてきた、小規模でも内容の濃いリエナクトメントをやろうとの企画でしたが、今回​​戦史研究団体 Lueders Kaserneの協力を得て、開催に漕ぎ着ける事ができました。

想定時期は1944年6月の中部イタリア。
ローマを開放し、北上する連合軍の尖兵として進撃する第100歩兵大隊。
対するはドイツ陸軍の主力後退を支援する、第162歩兵師団隷下のトルキスタン義勇軍第1野戦大隊。
戦史において記述と地図から読み取れるのはここまでです。
この先の中隊、小隊以下の行動に関して残る記録はありません。
当時の状況から、何パターンもの想定が考えられる中で、充分起こりえたと考えられる状況を両軍参加者に付与し、1夜2日をュミレートして実施致しました。









夕食の時間になりました。
出発前に各自に支給したKレーションを食べます。
内容物はクラッカー、フルーツバー、チョコバー、ガム、コーヒー、角砂糖
そしてポークパテ缶と落し紙です。













何度か書いていますが、Kレーションは元々空挺部隊用に開発された携行糧食ですが、その支給の利便性から全兵か問わず支給され、主に前線で兵士達に食べられました。
実際、このような状況の再現においても事前に配り、各自の背嚢に入れておけばどこでも食べさせる事ができるのは大変便利なのがわかります(事前準備は大変ですけどね!w)

一日中行動し、穴を掘り、斥候に出て疲労した身体に昼とたいして変わらないような単調なメニューは、良い体験になったものと思います。
(もっとも統裁部の食事も同じです)










夕食の後、翌日分の10in1レーションが支給されました。
翌朝の攻撃前に食べるのか、攻撃が終わってから食べるのか。
その裁量は分隊長に一任しました。

以降は夜間状況となり、写真は一切ありません。

夕方から降り始めた雨は一時的なものと考えていましたが、結局朝まで降り続けました。
その間、両軍は歩哨と斥候を繰返します。
月明かりは遮られ、霧も発生し視界はかなり下がりました。





以下は本部に有線電話にて報告された内容のまとめです。

A アメリカ軍の報告
D ドイツ軍の報告

1700 A 3名による斥候前進開始。
1728 D 敵2名を発見、その後見失う。
1755 A 斥候帰隊 異常無し。 敵の障害及び陣地について遠方より確認。障害の端については確認できず。
1800 D 定時報告 異常無し。
1840 D 1名を本部へ移動(体調不良により後退、以後本部にて休息させる)
1900 A 夜間斥候1回目を下令。1900~2100.
1902 D 定時報告 異常無し。
1923 D 1名が転倒により負傷。 本部へ後退(以後、本部にて休息させる)
1933 D 左斜面に人影あり。射撃。効果不明。(後退する味方への誤射か?)
1935 A 5名による斥候、前進開始。
1948 D 正面40mに敵2名を発見。左へ移動。
1952 D 右側くぼ地にて敵らしき兆候。誰何を実施。応答無く4発発砲。効果不明。
2003 D 1名本部へ移動(薬を忘れた為、取りに戻る)
      右歩哨アラート発令(敵斥候の発見か、味方の移動か不明)
      米軍斥候と薬を取りに行ったドイツ兵が接触してしまい、一次状況を中断。双方を後退させる。
2030 A 斥候3名帰隊。 敵の歩哨位置、MG陣地(誤認)を確認。
2115 D 敵斥候2名を捕獲。本部へ後送する。(2名については1時間本部にて拘留の後、陣地へ復帰させる)
2207 D 左前方40mから物音(該当無し)
2220 D MG陣地前方75mに明かりを視認(米軍側はライト等使用しておらず不明。駐車場の車両か?)
2230 A 第2回夜間斥候を下令。2300-0000。
2256 D 明かりが消える。
2300 A 7名による斥候、前進開始。
2310 D MG陣地正面 2~3名の足音を聴知。
2315 D MG陣地正面 4~5名の足音を聴知。

2330 D ドイツ軍主力の撤退が完了。丘を放棄し、後退を下令する。
(人員減、及び天候と体調を考慮し、ドイツ軍については想定後退させ本部、待機天幕にて休息させる事とする。
なお、アメリカ軍については状況の継続可能と判断し、ドイツ軍の後退を察知できるか否かで明朝の攻撃実施を判断するとする)
2345 A 斥候帰隊。 再度の斥候を下令。0000-0100。
0000 D 陣地放棄、後退開始。
0005 A 斥候3名前進開始。
0100 A 斥候帰隊。異常無し(ドイツ軍撤退を察知できず)
0120 D ドイツ軍撤退完了。
0130 A 攻撃命令下達。明朝0600前進開始。

記録は以上です。
この後、アメリカ軍は各自掘った退避壕で朝まで過ごしました。
一方のドイツ軍は後退を完了し、本部の待機天幕にて過ごしました。



以下次回に続きます。

追記
ドイツ軍だけ後退させたのは様々な理由を総合的に判断しての事でしたが、実際ドイツ軍参加者も大変頑張ったと考えます。
慣れない環境で、これまでこのような訓練の経験もほぼ全員が無い中で指揮と士気を維持し、努力を継続しました。
今回は状況を一部切る事にはなりましたが、また次回以降への良い経験になったかと思います。







  


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2019年05月09日

イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere” レポVol.3

2019年4月28~29日にかけて開催しましたリエナクトメント、「イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere”」のレポート第3項をお送りします。




数年前から温めてきた、小規模でも内容の濃いリエナクトメントをやろうとの企画でしたが、今回​​戦史研究団体 Lueders Kaserneの協力を得て、開催に漕ぎ着ける事ができました。

想定時期は1944年6月の中部イタリア。
ローマを開放し、北上する連合軍の尖兵として進撃する第100歩兵大隊。
対するはドイツ陸軍の主力後退を支援する、第162歩兵師団隷下のトルキスタン義勇軍第1野戦大隊。
戦史において記述と地図から読み取れるのはここまでです。
この先の中隊、小隊以下の行動に関して残る記録はありません。
当時の状況から、何パターンもの想定が考えられる中で、充分起こりえたと考えられる状況を両軍参加者に付与し、1夜2日をュミレートして実施致しました。












日が陰り森の中は薄暗くなってきた夕刻に昼間斥候が実施されました。
小隊長から発せられた斥候命令は分隊長直率で実施されることとなり、分隊員の中から斥候組が編成されます。
装備は最低限の小銃とバンダリアのみ。
砲撃が予想される為、ヘルメットは着用します。

昼間斥候は双方、比較的遠距離まで視認できるため、おおまかな敵陣地の情報から、その配置を探ります。
















一方残る分隊員も退避壕の構築を継続します。
退避壕はその名の通り、砲撃等から退避して身を守る為の壕で規定の幅、深さを持ちます。
その規定サイズで構築しなければ、砲弾の破片などが飛び込み易くなり、効果が得れません。
また、基本的に長さは壕に入る人の身長を考慮して構築します。
夜間、多少なりとも快適に過ごせなければ翌日以降の行動に影響するでしょう。






また退避壕とは別に歩哨壕の構築も指示されました。
退避壕で待機する分隊より前提に構築し、敵の接近を警戒する為の壕です。
本来昼間用と夜間用は位置をそれぞれに適した場所に構築するのですが、その理由や場所の選定については実際に参加して学んで下さい。














敵陣に接近した斥候組はその手前で更に詳細な指示を受け、侵入を開始します。
斥候は大変難しい任務ですが同時に必須でもあり、必ず歩兵は実施します。
この教育はとても紙の上だけでできるものではなく、実際に行動して得られる効果の高いものです。
特に今回のように敵側が実際に配置されている状況はなかなか得がたい機会でした。




















ドイツ軍側も一応の構築を終え、警戒を継続しています。
歩哨による敵発見等の報告は分隊長から有線電話を通じて統裁部の想定ドイツ軍小隊長(米軍小隊長を兼ねるが、あくまで電話によるやりとりのため、見た目を気にしない)に報告され、記録されます。



このやり方は一昨年の宇治演習から実施していますが、手前味噌ながら上手いやり方だなぁと思っています。
もちろんドイツ軍にも本部を設営して貰って、指揮を執って貰えれば良いのですが現状では人員の関係で難しい点です。

次回に続きます。



  


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2019年05月07日

イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere” レポVol.2

2019年4月28~29日にかけて開催しましたリエナクトメント、「イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere”」のレポート第2項をお送りします。



数年前から温めてきた、小規模でも内容の濃いリエナクトメントをやろうとの企画でしたが、今回​​戦史研究団体 Lueders Kaserneの協力を得て、開催に漕ぎ着ける事ができました。

想定時期は1944年6月の中部イタリア。
ローマを開放し、北上する連合軍の尖兵として進撃する第100歩兵大隊。
対するはドイツ陸軍の主力後退を支援する、第162歩兵師団隷下のトルキスタン義勇軍第1野戦大隊。
戦史において記述と地図から読み取れるのはここまでです。
この先の中隊、小隊以下の行動に関して残る記録はありません。
当時の状況から、何パターンもの想定が考えられる中で、充分起こりえたと考えられる状況を両軍参加者に付与し、1夜2日をシュミレートして実施致しました。











中隊は前進を開始。
上級部隊から偵察報告の上がっている”B丘”に対する攻撃の、集結地を目指します。
※時間の関係上今回、長い距離の行軍は実施していませんが、本来は数10km以上の行軍でした。









分隊は森に入ります。
イタリア戦線は主に山岳地を争う攻防であり、第100歩兵大隊は常にその尖兵でした。
彼らは1日分の食糧と弾薬、僅かな寝具を携行してそのほとんどを徒歩で突破していきました。






集結地に到着。
想定の小隊長から指示された地域へ分隊を展開させます。

















分隊は更に分隊長から位置を示され、退避壕を構築します。
これは主に砲撃から身を守る為の壕で、戦闘地域では部隊が停止する毎に掘られたでしょう。
もっともイタリア戦線では、岩場が多く固くてまったく掘れなかったとの証言も残っています。





全員が穴掘りに没頭する訳ではなく、当然警戒の歩哨が立ちます。
本来は部隊の前衛に歩哨用の警戒壕を構築し、警戒するのですがそれが完成するまではこのように地形地物を利用して身を隠し、敵方を監視します。


















さて一方のドイツ軍ですが、午前中から山中に入り陣地を構築していました。
今回の想定は第162師団(トルキスタン義勇部隊)です。
彼らはイスラム教徒のテュルク人(トルコ人に非ず)を中心に編成された部隊ですが、その範囲は中央アジア全体にう渡っており、アジア系の顔立ちも多いのが特徴です。
もっとも、今回その部隊を想定したのは第100歩兵大隊が直接戦火を交えている事が判明している部隊だからですが。
今回の想定ではドイツ軍主力は戦線を放棄して撤退中であり、当該部隊はそのしんがりとして遅滞戦闘を命ぜられていました。

斜面と岩場、そして雨と悪条件が重なる中で陣地を構築し、障害(模擬鉄条網、及び地雷)を設置してアメリカ軍の進撃を遅らせるための戦闘を準備します。

以下次回。






  


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2019年05月06日

イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere” レポVol.1

2019年4月28~29日にかけて開催しましたリエナクトメント、「イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere”」のレポートをお送りします。



数年前から温めてきた、小規模でも内容の濃いリエナクトメントをやろうとの企画でしたが、今回​​戦史研究団体 Lueders Kaserneの協力を得て、開催に漕ぎ着ける事ができました。





想定時期は1944年6月の中部イタリア。
ローマを開放し、北上する連合軍の尖兵として進撃する第100歩兵大隊。
対するはドイツ陸軍の主力後退を支援する、第162歩兵師団隷下のトルキスタン義勇軍第1野戦大隊。
戦史において記述と地図から読み取れるのはここまでです。
この先の中隊、小隊以下の行動に関して残る記録はありません。
当時の状況から、何パターンもの想定が考えられる中で、充分起こりえたと考えられる状況を両軍参加者に付与し、1夜2日をシュミレートして実施致しました。














集合し、軍装を整えた後、当初の作業要領と管理事項について説明致します。

天幕を設営した後、毛布と個人天幕の携行要領について教育を行ないます。
これはアメリカ陸軍で定められた天幕の携行要領ではありませんが、当時の日系兵士が多用していたと思われるやり方です。









天幕巻きを完成させ、装備を整えて再度集合し部隊長の検閲を受けます。
形式的なばかりではなく、実際に行動に適した装備を携行しているか、検査する事も連続状況をするにあたって重要です。









その後、分隊の行動に関して訓練を実施。
距離感や展開要領と言うのは文字にすると簡単ですが、実際には身体で覚えないと難しい項目です。
この訓練には広い場所が必要であり、なかなか機会は少ないので今回は状況開始前に実施致しました。


































行動前に昼食を配布。
10in1レーションのパーティアルディナーユニットです。
Kレーションに近い構成で、携行が容易で簡易な食事を摂る事ができます。
内容物はクラッカー、シリアルバー、ブイヨンスープ、ガム、ハッシュドコンビーフです。

次回へ続きます。





  


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2019年03月03日

BCo新年会2019 私物演習レポートVol.7(最終)

2019年新年会として、ドイツ軍「黒騎士中隊」のご協力を得て、対抗演習形式で実施致しました。



想定は以下の通りです。
参加規約
1944年1月 イタリア戦線 カッシーノ近郊 マジョ高地群Hill 1190を攻撃する部隊、3pt/B Co/100Bn/133Reg/34Div(アメリカ陸軍第34師団第133連隊第100歩兵大隊B中隊第3小隊)です。

史実ではモンテカッシーノの戦いの前哨戦として、高地群の攻略に当たった第100歩兵大隊の記録が残っています。
部隊規模として1個分隊を再現し、その上級部隊である小隊本部からの命令を想定として行ないました。

レポート最終項をお送り致します。







戦闘が終結し、後方へと戻った部隊は糧食班の用意したBレーションを支給されました。
メニューはパン、ビーフステーキ、ポテトサラダ、マッシュルームスープ、桃です。









食事の前に訓練等も行ないましたが、写真もないので割愛します。








最後の食事は協力してくださった黒騎士中隊の皆様にも食べていただきました。

食事終了後、少し休憩してから撤収作業を行い、解散となりました。

今回は昨年の6月の演習に続き、1夜2日の連続状況を体験する事ができました。
1月の開催でしたので、かなりの冷え込みがあり、夜間は大変でしたが当時の装備で全員乗り切る事ができたのは、今後に良い経験になったかと思います。
また、実際に敵側に人、ドイツ兵が居て障害の構築や歩哨をしてくれた点は斥候、攻撃を行なう側として大変勉強になりました。
今後も機会を得て、このような訓練を実施していきたいと思います。

早速ですが、下記のイベントを計画中です。

インフォメーション 1
詳細は後日発表しますが
本年4月28日~29日にかけて山梨県の朝霧高原にてイベントを行なう予定です。
「Italianfront1944 Battle of Belvedere」(仮題)

主力が後退中のドイツ軍第162歩兵師団の一部と、アメリカ軍第34師団第442連隊戦闘団第100歩兵大隊B中隊の戦闘リエナクトメントを行なう計画です。
近く正式に告知を出しますので、いましばらくお待ち下さい。

インフォメーション 2
4月6日(土)京都舞鶴の共楽公園にて「アロハ桜 植樹1周年記念 花見会」を開催予定です。
ハワイから退役軍人会の方々も参加される予定で、現在計画しています。
軍装での参加は、昨年の植樹式の通り、それ以外は禁止ですが、もしご興味ある方はご参加下さい。
現地で昼食を予定しています。 会費は1000円程度です。
アロハ桜保存会 Webサイト

インフォメーション 3
WW2オールラウンド ヒストリカルサバイバルゲーム
HSW18=第18回ヒスサバウエスト」 の開催が決定いたしました。
2019年5月3日 場所は和歌山県橋本市のサバイバルゲームフィールド「バトルランド-1」です。
詳細は公式Webサイトをご確認下さい。
  


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2019年02月20日

BCo新年会2019 私物演習レポートVol.6


2019年新年会として、ドイツ軍「黒騎士中隊」のご協力を得て、対抗演習形式で実施致しました。



想定は以下の通りです。
参加規約
1944年1月 イタリア戦線 カッシーノ近郊 マジョ高地群Hill 1190を攻撃する部隊、3pt/B Co/100Bn/133Reg/34Div(アメリカ陸軍第34師団第133連隊第100歩兵大隊B中隊第3小隊)です。

史実ではモンテカッシーノの戦いの前哨戦として、高地群の攻略に当たった第100歩兵大隊の記録が残っています。
部隊規模として1個分隊を再現し、その上級部隊である小隊本部からの命令を想定として行ないました。

レポート第5項をお送り致します。

戦闘が終結し、朝食です。
10in1レーションの朝食分を皆で分けて食べます。



















10in1レーションはBレーションとしても調理(温め)して出されるメニューでした。
今回はメスパンに盛り付けて食べていますが、前線では缶のままで分けながら食べる事が多かったものと考えます。

朝食メニューはシリアル、チキンハム、アスパラガス、パインアップル、コーヒーに缶コンデンスミルク(無糖練乳)、砂糖です。










まぁ褒められたメシではありませんが、戦闘状況の一夜を終えた後ではなんでも美味いです。








ドイツ軍の皆様も食事です。










食事が終わればお仕事。
今日の業務は戦闘で使用した火器の手入れです。
銃は必ず使用後にメンテナンスをしなければすぐに動かなくなってしまうでしょう。
戦闘後はこのように清掃手入れするのが常識でした。

あと一回でこの演習レポートも終わりです。


インフォメーション
詳細は後日発表しますが
本年4月28日~29日にかけて山梨県の朝霧高原にてイベントを行なう予定です。
「Italianfront1944 Battle of Belvedere」(仮題)

主力が後退中のドイツ軍第162歩兵師団の一部と、アメリカ軍第34師団第442連隊戦闘団第100歩兵大隊B中隊の戦闘リエナクトメントを行なう計画です。
近く正式に告知を出しますので、いましばらくお待ち下さい。  


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2019年02月17日

BCo新年会2019 私物演習レポートVol.5

2019年新年会として、ドイツ軍「黒騎士中隊」のご協力を得て、対抗演習形式で実施致しました。




想定は以下の通りです。
参加規約
1944年1月 イタリア戦線 カッシーノ近郊 マジョ高地群Hill 1190を攻撃する部隊、3pt/B Co/100Bn/133Reg/34Div(アメリカ陸軍第34師団第133連隊第100歩兵大隊B中隊第3小隊)です。

史実ではモンテカッシーノの戦いの前哨戦として、高地群の攻略に当たった第100歩兵大隊の記録が残っています。
部隊規模として1個分隊を再現し、その上級部隊である小隊本部からの命令を想定として行ないました。

レポート第5項をお送り致します。


夜間斥候にてドイツ軍が鉄条網を(一部)修復しているのを確認し、再度切断。
攻撃経路を確認し本部へ報告します。



中隊本部では有線電話で各部隊の行動を確認して情報を集約、各小隊へ攻撃命令を下達します。



命令下達。
本来、小隊にはこのような天幕は無く、暗闇でも行なうことではありますが、今回は訓練を兼ねていた為、明るい所(と言っても当時のガソリンランタンですが)で命令下達を行ないました。












命令下達の後、僅かな仮眠を取り明け方前に起床。
攻撃準備を下令し、行動を開始します。
夜間に偵察し、確認した経路を伝って配置に付き、攻撃の合図を待ちます。






一方のドイツ軍も気配に気づき、未明に配置に付きました。
そしてその時間がやってきます。

想定で小隊に割り当てられていた迫撃砲が突撃支援射撃を開始。
ドイツ軍陣地に砲弾を降らせます。
















BAR(ブローニング自動小銃)が射撃を開始、分隊に突撃が下令されました。
一斉に立ち上がって突進するアメリカ軍。






ドイツ軍の歩哨はそれをすぐに発見したものの、あまりの勢いに立ちすくみ、反撃どころか声も上げられないままに撃たれました。
敵の突撃という事自体には気付いたものの、MGもまた射撃する間もないまま突破されます。
ドイツ軍参加者は、周到に準備された歩兵の突撃がいかなる衝力を持つのか、まさに身をもって体験できたかと思います。

アメリカ軍はドイツ軍を制圧し、丘を占領。
逆襲対処を下令した所で状況を終了しました。



状況終了後、時間を開けずにその場で簡易なAAR(AfterActionReview=事後研究会)を実施。
戦闘の最後における行動とその結果を確認します。



更にその後、天幕に集まって本格的なAARを行い、昨日からの両軍の行動を整合して参加者がそれぞれどのような行動を行い、またそれが相手からそどのように見えていたかを確認します。
やり方としては小学校の「終わりの会」のような感じです。
これらは実際の軍隊でも行なわれますが、次回以降のステップに繋がる重要な項目の1つです。
面倒がらずに是非やってみてください。

と、言うことで以下次回です。

インフォメーション
台湾のミリタリー雑誌「CombatKing」誌3月号に昨年関西ヒストリカルイベントが主催致しましたイベント「オストフロント1944」が特集、掲載される予定です。
内容はカラー10~12ページの大特集です。

この「CombatKing」誌、オストフロント掲載の3月号が欲しい方には、注文による取り寄せ販売をいたします。
代金は送料込みで1部1000円です(ほぼ実費のみです)
記事の文章は中国語ですが、漢字なのでだいたいのニュアンスは理解できますw










※この写真は過去掲載号のものです。

ご希望される方は「2月18日中」にブログへのメッセージや、管理人へのツイッター、メール等でのご連絡をお願いいたします。
発送は3月中旬頃を予定しています。

また、この機会に過去のバックナンバーを希望される方もご連絡下さい。
※バックナンバーについても価格は同様ですが、先方に在庫が無かった場合は自動的にキャンセルとなります。ご了承下さい。
・BCo御殿場キャンプ特集号
・MVG軽井沢2017特集号
・ざ・オストフロント特集号
・ざ・オストフロント1942特集号
・ざ・パシフィックフロント3特集号
・ざ・パシフィックフロント4特集号
  


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2019年02月06日

BCo新年会2019 私物演習レポートVol.4

2019年新年会として、ドイツ軍「黒騎士中隊」のご協力を得て、対抗演習形式で実施致しました。



想定は以下の通りです。
参加規約
1944年1月 イタリア戦線 カッシーノ近郊 マジョ高地群Hill 1190を攻撃する部隊、3pt/B Co/100Bn/133Reg/34Div(アメリカ陸軍第34師団第133連隊第100歩兵大隊B中隊第3小隊)です。

史実ではモンテカッシーノの戦いの前哨戦として、高地群の攻略に当たった第100歩兵大隊の記録が残っています。
部隊規模として1個分隊を再現し、その上級部隊である小隊本部からの命令を想定として行ないました。

レポート第4項をお送り致します。








昼間斥候を終え、帰隊した分隊員は再び退避壕の構築を行ないます。
退避壕は射撃、戦闘するための物ではなく文字通り退避し、砲弾などから身を守るためのものです。
人一人、寝そべって入れるサイズですが、実際に掘ってみるとなかなかに重労働です。
しかし最低でも規定の大きさまでは掘らなければ、砲弾の落下に耐えることはできません。
夕闇の迫る中、構築は続けられます。










どうにか完全に日が没するまでに概成。
束の間の休息をとります。
警戒については想定の他の小隊に交代しています。











支給されていたD-Rationをかじります。
当時、味とその硬さからか不評の残るレーションですが、その一方で甘くて美味かった、と言う話もあります。
おそらくは、それを口にした状況によるものが大きいのではないかと考えます。








再現したD-Ration(チョコレートに小麦やスキムミルク、ビタミン等の栄養を混ぜ込んで形成した緊急食)
緊急食で本来命令が無ければ勝手に食べる事はできません。
しかし、余剰を増加食として支給されたりもあったようです。
今回の演習では増加食として1人1個支給していました。










すっかり暗くなった頃、再度斥候の命令が下ります。
分隊長は斥候を集め、偵察すべき項目や進入経路について確認を行ないます。
また斥候参加者は顔を炭で黒く塗ります。
人間の肌、特に顔面は夜間光りやすく目立つ為、炭を塗ることで視認性を下げます。








夜間は敵方が見えにくくなる分、敵方からも発見されにくくなる為、昼間に行なわれた斥候より更に奥地へと進めます。
今回の斥候ではドイツ軍の敷設した障害、鉄条網位置や向きなどの情報を持ち帰ることに成功しました。
更に明朝の攻撃の為、鉄条網を切断して進路を啓きます。


この後更に夜半になってから夜間斥候が出されました。
完全な夜間ですので写真はありません。

翌朝に攻撃が決定し、その為の斥候として深夜に進入します。
進入経路の再確認、敵の態勢、そして夕方の斥候で切除した鉄条網が修復されていないかを確認します。
実際に何箇所かの鉄条網はドイツ軍守備隊によって修復されていました。

次回へ続きます。  


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2019年01月21日

BCo新年会2019 私物演習レポートVol.3

2019年新年会として、ドイツ軍「黒騎士中隊」のご協力を得て、対抗演習形式で実施致しました。



想定は以下の通りです。
参加規約
1944年1月 イタリア戦線 カッシーノ近郊 マジョ高地群Hill 1190を攻撃する部隊、3pt/B Co/100Bn/133Reg/34Div(アメリカ陸軍第34師団第133連隊第100歩兵大隊B中隊第3小隊)です。

史実ではモンテカッシーノの戦いの前哨戦として、高地群の攻略に当たった第100歩兵大隊の記録が残っています。
部隊規模として1個分隊を再現し、その上級部隊である小隊本部からの命令を想定として行ないました。

レポート第3項をお送り致します。








集結地の行動。
退避壕の構築が続きます。
自然を相手の戦いなので、岩でも根でもとにかく掘らなければいけません。
このあたりはもう、場所を選定する時の運でしょうか。
根に関してはある程度想像もつきますが(おうおうにして、悪い想像しか当たりませんw)、岩に関しては地中のものはどうしようもありません。
しかし実際のイタリア、マジョ高地群は岩山でとんでもなく固かったそうです。
「携帯シャベルではまったく歯が立たなかった」と証言されているVeteranも居ます。








ドイツ軍側の昼食 ※写真提供 黒騎士中隊、FrontLine能勢





さて、退避壕構築と並行して昼間斥候の命令が下ります。
砂盤を使用して、各斥候長へ経路、斥候目的等について確認を行ないます。
更に必用な装備について示達し、必用なものは(可能ならば)本部等から貸し出します。
ですが、このような小銃小隊からの斥候は、現有の装備で行なうのが通常でしょう。

今回はヘルメットや装備ベルトを使用せず小銃とバンダリア(布製の予備弾薬袋)のみ携行。頭部は本来はヘルメットの冬季用インナーであるニットキャップのみとしました。
※昼間斥候は通常はヘルメット着用であるとの指導を、訓練終了後に受けました。

出発時刻、帰隊し報告する時刻が示されます。
これらは他の味方部隊との調整や、敵方を監視している歩哨との連携にも影響する為、厳密に守る必用があります。







出発時刻になり、斥候隊が出発。
昼間斥候は我が方からの視認距離が遠い分、敵方からの発見もされやすいため、敵から見つからない距離を保っての観測となります。


























斥候の観測目標は任務によっても様々ですが、通常は敵の配置、警戒の度合い、人員。
機関銃等主要火器の位置、それらの指向方向、更に陣地に展開される障害(鉄条網や地雷等)の配置、更に接近経路の確認等を行ないます。

通常の斥候だと敵に発見されてしまうのは一番の失敗であると言えるでしょう。
特に捕虜となる事は最悪の事態であり、敵に発見されて射撃を受ける事も最大限避けなければいけません。
そのため、原則的に斥候はまず自身の射撃を禁止されます。
敵を発見し、その位置や詳細を確認して報告するのが任務であり、敵に多少の損害を与える射撃はこちらの意図や位置を暴露するマイナスの効果しかありません。
しかしながら、万が一発見された際には自らの身を守る為の緊急回避として武器を携行します。

今回の演習では実際に敵方にドイツ軍リエナクターが配置され、警戒についてくれました。
彼らのいかげで、より実践的な斥候要領を訓練する事ができました。









※写真提供 FrontLine能勢

なお、ドイツ軍も引き続きMG(機関銃)陣地を構築しています。
掘る作業を継続しながら歩哨を立てて監視をしていました。

次回へと続きます。


インフォメーション
台湾のミリタリー雑誌「CombatKing」誌3月号にこのイベント「オストフロント1944」が特集、掲載される予定です。
内容はカラー10~12ページの大特集です。

この「CombatKing」誌、オストフロント掲載の3月号が欲しい方には、注文による取り寄せ販売をいたします。
代金は送料込みで1部1000円です(ほぼ実費のみです)
記事の文章は中国語ですが、漢字なのでだいたいのニュアンスは理解できますw










※この写真は過去掲載号のものです。

ご希望される方は「お早めに」ブログへのメッセージや、管理人へのツイッター、メール等でのご連絡をお願いいたします。
発送は3月中旬頃を予定しています。

また、この機会に過去のバックナンバーを希望される方もご連絡下さい。
※バックナンバーについても価格は同様ですが、先方に在庫が無かった場合は自動的にキャンセルとなります。ご了承下さい。
・BCo御殿場キャンプ特集号
・MVG軽井沢2017特集号
・ざ・オストフロント特集号
・ざ・オストフロント1942特集号
・ざ・パシフィックフロント3特集号
・ざ・パシフィックフロント4特集号






  


Posted by 先任  at 13:28Comments(0)リエナクト

2019年01月18日

BCo新年会2019 私物演習レポートVol.2

2019年新年会として、ドイツ軍「黒騎士中隊」のご協力を得て、対抗演習形式で実施致しました。



想定は以下の通りです。
参加規約
1944年1月 イタリア戦線 カッシーノ近郊 マジョ高地群Hill 1190を攻撃する部隊、3pt/B Co/100Bn/133Reg/34Div(アメリカ陸軍第34師団第133連隊第100歩兵大隊B中隊第3小隊)です。

史実ではモンテカッシーノの戦いの前哨戦として、高地群の攻略に当たった第100歩兵大隊の記録が残っています。
部隊規模として1個分隊を再現し、その上級部隊である小隊本部からの命令を想定として行ないました。

レポート第2項をお送り致します。












BARの教育を終えたら状況を再開。
各自の退避壕を構築します。

これは集結地において、主に敵の砲弾から身を守るための物です。
我が方の攻撃の兆候を察知した敵(防御側)は、斥候を出して集結地や、攻撃側の進入経路等を確認し、支援があるならば砲撃によってその意図を妨害し、被害を与えようと試みます。
これは攻撃準備破砕射撃と呼ばれるもので、攻撃側はこの砲撃に晒されながらの攻撃準備を行なう事になります。

砲撃に対する退避壕の有効性についてはこれまで何度か書いていますが、極めて有効です。




昼になり、本部から糧食が届けられます。












糧食の計画では、ここで10in1レーションと呼ばれるキットから本部の方で暖めたクラムチャウダー、クラッカー、コーン、フルーツカクテル、コーヒーを配ると同時に夕食となるPARTIALユニットとPork缶、更に緊急用糧食として制定されたチョコレートバー「Dレーション」を説明と共に配る予定でした。
しかし、担当者のミス(?)により、分隊員に内容がきちんと伝わらず、兵士達は配られた昼食の他に夕食も昼に食べてしまう事に。
その事に気づいたのは中隊本部の下士官が見回りに来た際に、でしたが時既に遅し。













この後、夕食が配られないと言うことを知らずに昼食を取る事になった分隊員。
まだ気づいて無い為、表情は明るい。
※なおこの事態は作為した物ではなく、実際に勘違いによるものでしたが、おかげで参加者達の多くは夜間に空腹と寒さの、かなり厳しい状況を体験する事ができました。



昼食が終われば、また元の陣地構築に戻ります。
※本来は組の半分が食事を摂る間に、残りは構築を続けるのが通常ですが、今回は緩和しました。



さて、一方対抗部隊であるドイツ軍。
人数的に大変少数であった為、今回はMG(機関銃)射撃の可能な陣地1つだけを作って貰う事に。








手堀りでの掩体構築に挑むドイツ軍。
彼らのこの協力があって、今回の演習は対抗形式でできました。
大変感謝します。
また、彼らも極寒の中で色々と良い体験を得た物と思います。

以下次回。


インフォメーション
本土決戦1946 FINAL BATTLE

2月9~10日に京都丹南市のサバイバルゲームフィールド「Field9」にて開催される架空戦イベント。

架空の戦闘ですのでリエナクトではありませんが、内容として面白いので管理人他BCoのメンバーが参加します。
ピラミダルテントを建ててストーブを設置予定ですので、アメリカ陸軍で参加予定の方は、事前に連絡下さればGIコット持込で宿営が可能です。
また同じく事前申請いただければ、食事も用意したいと思います(1食500円)

規定はイベントレギュレーションに合っていればokです。
コメントやその他の連絡手段にて管理人「先任」にご連絡下さい。



  


Posted by 先任  at 06:43Comments(0)リエナクト

2019年01月15日

BCo新年会2019 私物演習レポートVol.1

2019年新年会として、ドイツ軍「黒騎士中隊」のご協力を得て、対抗演習形式で実施致しました。

想定は以下の通りです。
参加規約
1944年1月 イタリア戦線 カッシーノ近郊 マジョ高地群Hill 1190を攻撃する部隊、3pt/B Co/100Bn/133Reg/34Div(アメリカ陸軍第34師団第133連隊第100歩兵大隊B中隊第3小隊)です。

史実ではモンテカッシーノの戦いの前哨戦として、高地群の攻略に当たった第100歩兵大隊の記録が残っています。
部隊規模として1個分隊を再現し、その上級部隊である小隊本部からの命令を想定として行ないました。

今回からそのレポートをお送り致します。



集合写真










装具を調え、集結地へ向けて前進中の想定から開始致しました。
本来ならばかなりの距離を行軍で歩いて来る所ではありますが、場所時間の制約上、集結地の寸前からのスタートです。






設定された集結地に到着。
まず必用な管理次項等を示達します。






続けて砂盤(作戦に必用な地形、地物等を簡易的に作ったもの)を使用して、状況を示達、命令を下達します。

想定した命令は大隊主力が第1190高地を攻撃奪取する為の前衛部隊(中隊)として敵の前哨を破壊し、前進経路を開くものでした。














また、今回はBAR(Browning Automatic Rifle)の運用の教育も兼ねてましたので、参加者に基本教育を実施しました。
運用、射撃姿勢、BAR射手、アシスタント、弾薬手の役割と行動について教育を実施しました。


以下次回に続きます。



  


Posted by 先任  at 20:30Comments(0)リエナクト