2013年06月02日

アロハ桜物語 後編



1982年10月
ハワイに海上自衛隊の練習艦隊(かとり、あさぐも)が入港。
主席幕僚の平間1佐から3枚のアロハ桜の写真がPacificMotionPicture社の社長、小笠原氏(元自衛隊。所属等は不明。ハワイ在住で入港する海上自衛隊の艦隊の世話役をして下さっていたようです)に託され、アロハ桜の概要と共にハワイ報知新聞に掲載されました。
その記事掲載をきっかけにWatanabe氏ら「Club-Maizuru」(戦後舞鶴に駐留したMIS、第500情報部隊隷下の第354中隊及び第355中隊に所属したハワイ二世の会)のメンバーと小笠原氏らが集まり、舞鶴進駐とサクラについての座談会インタビューが行われました。



そのメンバーの中に桜の植樹に携わった方は居なかったのですが、当時の舞鶴の状況やMISなどについて知ることができたので抜粋し、私が直接聞いた話も合わせて掲載します。


入隊当時のWatanabe氏(ハワイ報知新聞より)

Watanabe氏はハワイ・オアフ島のワイパフ出身(両親は福島出身)で22歳で陸軍に入隊。
基礎訓練の後、ミネアポリスの情報学校(後にカリフォルニアのモントレーに移転)で約1年間の教育を受け、日本に進駐。 現地で少尉に任官したそうです。
当初の任地は長崎で、1947年の春に舞鶴に進駐、第500情報部隊の主な任務は引揚げ者からの共産軍に関する情報収集でした。
なお、全国で各県に2,30人ずつ配置されていたそうです。


舞鶴に進駐した第354,355中隊は舞鶴水交社の建物を接収し、使用します。
水交社の建物の裏には壁に穴があり、そこを抜けると「グリーン・ランタン」と呼ばれるビアガーデンがあって、皆さんは毎晩「通勤」したそうです。
まずビールを飲んでから、中舞鶴市街に出てで梅割り焼酎や、ぶどう割りを飲んだとありました。


当時の舞鶴水交会建物


現在は海上自衛隊の官舎となっており、門柱だけが残されています。

私が中舞鶴に住んでいた話をすると「今でもお店はあるのかな?」と聞かれました。
「当時からのお店はほとんど無いと思いますが、焼き鳥屋があって妻が働いてました」と答えると、とても懐かしそうに喜んでおられました。

一方で共楽公園や桜は覚えていないそうです。
桜は海軍の学校(現、舞鶴地方総監部)にはたくさんあったと思う、と言われました。


舞鶴の海軍機関学校。






現在の舞鶴地方総監部と海軍記念館

インタビューでは桜を植樹した方については
「やっぱし舞鶴でお世話になって、何かお返しをしたいと考えたんでしょうね。日本とアメリカの親善を考え、ポトマック川の桜を思い浮かべたのでは?」
と語っておられます。
Takaki氏の思いとは少し違うかもしれませんが、舞鶴-日本に進駐した二世としてそのような感情があったのだと思います。

桜の植樹に関しては
「それを考えるだけでなく実行に移したのが偉いと思うね」
と言う感想や
「1950年頃まで舞鶴に居たが植樹の話は聞かなかった」
と言う話がありました。

また桜を植樹したとされる23人については以下のような話がありました。

Takaki氏がCICならば23人も居ない。おそらく3,4人だろう。
情報部にいる23人が全員戦死すると言う事も、まず有り得ないと思う。
354,355中隊の50名のうち戦死したのは1名で、航空機の墜落が原因だった。

また、Takaki氏はコトンク(本土出身兵)では? と言っておられましたが、これは戦後のTakaki氏が仕事で家族共に本土を中心に生活しておられ、ハワイに戻ってなかったからではないかと思います。


座談会に記事で面白かったのは
「この桜はハワイの日系二世が植えたからいいんであってさサ。メインランドのコトン桜じゃ面白くもなんともないよ」
と言う言葉でした。
この言葉からも日系人といえどもハワイと本土の違いを感じる事ができます。
第100大隊と442連隊と同様に、とかく一緒に括られがちな日系社会ですが、やはりそれぞれの歴史や習慣、経緯を学んで接しないと、と思います。

脱線しました。
桜の話に戻ります。

1973年4月11日の毎日新聞に以下のような記事があるそうです。

「終戦直後軍港の町、舞鶴に進駐した米軍320人のうち23人のハワイ二世部隊の隊員が、当時すさんでいた市民と野球を通じて親善を深めようと試合を申し入れ、22年春(1947年)オール舞鶴との親善試合が実現した。その際”私達は不幸にも日本と戦ったが、日本は父母の国だ。繁栄と友好のしるしにサクラの苗木を贈りたい”と申し入れがあった。
布川氏によると、迫水氏が紹介したCICの高木二世から持ち込まれた話で、矢野市議に連絡した。また、その際、苗木を1本貰い布川氏宅の裏手の広場に枝を伸ばしている」


この記事についてWatanabe氏は長崎では野球をやったが、舞鶴ではしていない、と答えています。

この記事の信憑性は実際にはわからない所ですが、Takaki氏の証言とはほぼ一致しており、また桜に関わった日本人である矢野氏(元舞鶴市議会議長)や布川氏(中舞鶴の地主)らの関係もピタリ当てはまります。
また野球の試合は共楽公園に程近い中舞鶴グランド(元海軍機関学校のグランドで現在は舞鶴地方総監部内)で行われ、戦前から強豪として知られた中舞鶴チーム(明治神宮での御前試合もした事があるとか)を中心に経験者が集まりオール舞鶴チームとして二世チームと戦ったそうです。
私もたまに体育でソフトボールとかしているグランドかと思うと、なんだか感慨を感じるものがありますね。






現在の中舞鶴グランド(奥に見えるのは自衛隊の屋内訓練上)

その試合後の夕食会で桜の話が出て、植樹に至ったのでしょう。


では23人と記載されている日系兵がどの部隊の誰だったのでしょうか?

その答えの一部はハワイ報知新聞の記事の一番最後に掲載されていました。

座談会があった翌日、Watanabe氏から記者に「桜を植えた人が見つかった」と、連絡が入ったそうです。

その人はEdwin・Imamura氏で、通訳として1947年~1950年まで舞鶴に駐屯していました。
※ MISではなく、名簿では第442連隊戦闘団F中隊の出身となっている為、戦後に軍属(Civilian)の通訳として日本に来たのではないかと思われます。

Imamura氏の話を要約すると
1、桜の植樹が行われたのは1950年(昭和25年)の春。
2,野球を含め、23人と言う数字に心当たりはないが二世だけでなく白人や、市民も加えての人数かもしれない。
3、桜の植樹に携わった兵士のほとんどは戦死はしなかった(何故戦死したことになったのかはわからない)

と言う事になります。
そしてImamura氏による植樹者の名前は以下の通りです(敬称略)


・Harry.Murata(MIS Honolulu)
・Stanley.kizu(UNK Salt Lake)
・Seiyu.Inamine(Civilian Honolulu)
・Blackie.Yasutake(UNK Pearlcity)
・Tom.Oshiro(MIS Waipahu)
・James.Nishikawa(Civilian Japan)
・Charles.Tsurumaki(UNK Honolulu)
・Charles.Shimabukuro(Civilian Honolulu)
・Tommy.Ohishi(Civilian Los Angeles)
・Blackie.Tagawa(UNK Honolulu)
・Richard.Sato(MIS Ewa)
・Dick.Inoguchi(UNK Waipahu)
・Mickey.Wakita(Civilian Honolulu)
・***.Sasaki(UNK Waipahu)


※野球チームの写真から掘り起こしたと思われますので、これが本当に植樹した方の名簿なのかは確定できません。
しかし、Imamura氏の同僚であり野球チームである点、駐留した時期などから(そんなに多くの二世が舞鶴に居たわけではないので)この中に植樹した方が居るのは間違いないと考えます。
また名前は愛称と言う場合も考えられます(Blackieさんとか)

MISとして名簿に載っていたのは3名のみ。不明(UNK)の方も含めて多くは軍属であった事がわかります。
第100大隊や第442連隊出身者も、除隊後に軍属として日本に来た方も多くいたそうなので、これらに該当する方も居られたかもしれません。
また写真には白人将校の姿もあり、Imamura氏の証言からも白人の何人かも植樹を手伝った可能性が伺えます。


結論として、Imamura氏が植樹メンバーの1人である事は間違いないと思います。
また、Watanabe氏の話には1979年に亡くなったOkuno氏と言う方は生前に
「我々が植えた舞鶴の桜はもう大きくなっとろうのう、きれいに咲いとるかのう」
と言っておられたそうで、その方も植樹メンバーの可能性が高いと思います。

MISのリストにはShigema.Okuno氏とTetsuo.Okuno氏の2名のOkuno氏がおられますが、どちらが該当するのかはわかりませんでした。
しかし日系データベースによると、Tetsuo.Okuno氏はコトンク(カリフォルニア生まれ)なので、Shigema.Okuno氏ではないかと考えます。

元舞鶴市議会議長の矢野健之助氏も協力した1人なのでしょう。
そして苗木を贈ったTakaki氏と協力した迫水氏。

100本もの桜の苗木を植えるのは簡単ではありません。
おそらくもっと多くの方が協力されたのではないかと思います。

Takaki氏が舞鶴駅で植樹を託したとある日系兵士は誰なのかはわかりませんでした。




中舞鶴駅跡地。 現在はC58機関車が展示されています。 


またTakaki氏が苗木を確認した転属の前日については、正確には朝鮮半島ではなく京都市内への転勤であり、1949年11月の事でした。

もしかすると、キーパーソンであるその方こそが朝鮮戦争で戦死され、その後の話が途絶えてしまったのかもしれませんね。

これら多くの方の協力があって、現在の共楽公園は桜の名所として再び市民の憩いの場となりました。
私をはじめ、多くの自衛官も花見や運動で訪れます。

これらの話は声高に喧伝する事では無いと思いますし、それを植樹に携わった方が望んでいるとも思えません。
ですが、舞鶴市民の1人として、また日系史に興味を持つ人間として、更には海上自衛官としても「アロハ桜」の物語は今後も伝えて、残して行きたいと考え、今回稚拙ながら文章としてまとめさせていただきました。
私自身は調査と言うほどの事はしていませんし、書いた内容の多くはこれまでの先人が書かれた著作、新聞記事、TV番組、インターネットサイトやブログから学んだ物です。
ですが、これまで断片的な話で掲載されていても、それらを纏めた物は無いように思い、素人ながら書いてみました。

もし、これを読んだ皆様が春に桜を見かけた時に、戦後期の日本に後世に残る贈り物をして下さった方々の事を思い出して下されば大変嬉しく思います。












アロハ桜のある共楽公園は舞鶴東港や地方総監部を見下ろせる位置にあり、また反対側には海軍墓地も望めます。

最後に座談会での記事にあった皆さんの「桜」について連想する一言を紹介します。

「ビューティフル。きれい」
「大和なでしこ」
「日本の代表的な花。日本人の心を表す花」
「最近の日本人はそう思いませんが、あっさりしている。咲いて、パッと散るところね」



※個人のお名前等は新聞記事からの抜粋及び、本人の了承によりそのまま掲載させていただきました。
※間違い等ご指摘がありましたら、是非お願い致します。 






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Posted by 先任  at 10:59 │Comments(4)つれづれ

この記事へのコメント
初めまして。京都市南区の大岡英代と申します。突然、申し訳ありません。
アロハ桜物語、読ませて戴きました。
舞鶴のアロハ桜を知ったのは、4年程前になるかと思います。友人からハワイ日系二世の方のお話を聞いて、心響き心動かされるものがあり、友人と2人でいつかアロハ桜を愛でに訪れたいと思っていました。この4年間、友人と2人、ハワイ日系の方やハワイに住んでいらっしゃる日本人の方のお話を聞くと、桜が見たいと仰り、ハワイに日本の桜を植樹したいと思うようになりました。2年前から盲学校などに桜植樹活動を進めて行く中で、友人2人葉桜にはなっていましたが、4月18日アロハ桜を愛でに行きました。桜にも寿命がありますが、多分1番最初に植えられた桜は、残念にも害虫に喰われて伐採されていました。このアロハ桜が、植樹された意味、御苦労されて植樹された桜が、長く咲き続けることを、もっと市民の方に伝える事が大切ではないかと痛感しています。
舞鶴市役所に行き、友人と私の思いの桜を、来春、植樹したいとお伝えしています。
ハワイ マウイ島のベテランズセンター、カンシャプレスクールに、来年、桜植樹を叶えたいと思っています。
もっともっと、詳しく書きたいのですが、書き切れません。また、アロハ桜も老木になって来ています。この先は、どのように管理などされていくのかなど、直接、お話を聞かせて戴く機会があれば、嬉しく思います。
どうぞ、宜しくお願い致します。
Posted by 大岡 英代 at 2017年04月24日 09:50
大岡さま>
初めまして。 ブログ来訪、そしてコメントありがとうございます。
私もハワイ日系の方にお世話になり、また趣味として第100歩兵大隊の研究をしている事からアロハ桜にも大変興味を魅かれ、調べて書いてみた次第です。

公園の整備も充分とは言えないのですが、私も1市民に過ぎません。
せめてものと個人的に年数回、アロハ桜周辺の草取りや、碑の掃除をしている程度です。
桜自体は詳しくないのでどのように手入れしてよいやらわかりません。

市の方に植樹の申し出をされているのですね。
私も以前、同様にハワイの皆様への御礼を込めて植樹を考えていたのですが、市役所に相談しても今ひとつ良い答えをいただけなかったので保留しています。

マウイのカンシャスクールへの植樹、素晴らしいと思います。
成功すると良いですね。
映画「GoForBroke ~南の風が伝えた物語」を作られた松元さんもカンシャスクールへの寄付を目的に活動されているそうですね。
Posted by 先任先任 at 2017年04月24日 12:15
初めまして、東大阪市石切の野口典子と申します。
大岡さんとともに、ハワイの日系の方々へ感謝の想いを伝える「桜植樹」を目指しております、50代の主婦でございます。
突然のコメントにも関わらず、早速温かいお返事をいただき、ありがとうございました。

実は、映画「Go For Broke!」の松元監督とは4年前から良きご縁をいただいております。
今年2月には、マウイへ監督とご同行させて頂き、実際にベテランズセンターやカンシャスクールを見学することが出来ました。
元MIS兵の102歳の日系二世の方の生のお話を伺い、より一層「ハワイに日本の桜を!」の気持ちが高まりました。
カンシャスクールの園長先生にも、隣接高台への桜植樹の承諾を得ることが出来、
現在は、検疫許可等について色々な方にご相談させて貰っている日々です。

全ては、手探り状態ですが、、

4年ほど前、ブログを偶然読ませていただき、「アロハ桜」の存在を知り得たことが、前に進む大きな力となりました。
秘話を詳しく正確に纏めてくださった事に心より感謝申し上げます。

大変感銘を受けた「アロハ桜物語」を友人知人にもぜひ伝えたく、先日のFB投稿にブログ一部引用とご紹介をさせて貰いました。(アロハリコでFB登録しております)
ご本人の了解をいただかないまま掲載してしまいました事、誠に申し訳なく感じております。
後先になりましたが、どうかお許しくださいませ。

長々と申し訳ございません。
大岡さんのコメント通り、古木となり切り倒された「アロハ桜」の想いを引き継ぐ桜を、ぜひ来年植樹したく、舞鶴市役所土木課の職員の方にお願いし、近々共楽公園に植樹場所を下見に行く予定をしております。
もしお時間頂戴出来るようでしたら、その際お目に掛かり、アロハ桜についてお話お聞かせ願えないでしょうか?
唐突な申し出ですが、御一考宜しくお願いいたします。
アロハ桜を通してご縁をいただけましたら、嬉しく有難いです。

感謝
野口 典子
Posted by 野口典子 at 2017年04月24日 20:03
野口さま>
ブログへのご来訪、並びにコメントをありがとうございます。
初めまして!

なるほど、松元監督のツアーに参加された方なのですね!
私もFBでマウイツアーの写真を楽しく(羨ましく)拝見させていただきました。
カンシャスクールへの植樹、是非とも成功して欲しいと思います。

アロハ桜について、私などのブログでも人の役に立つ事があるのかと驚いています。
Veteransからお聞きできた話を除けば過去の新聞記事や本からの話ばかりではありますが、まとめた物はインターネット上には無いように思い、また現地の碑文は今から見れば間違いもある事から書いてみました。
引用も事後で喜んで承諾します。

また、最近私のWebサイト http://www.eonet.ne.jp/~kfir/ にもアロハ桜物語を再度まとめて掲載しました。
本文への加筆はほとんどありませんが、一部写真を追加し、下手な英語を併記いたしました(100大隊クラブから「英語も書いて」と言われてましたので)

舞鶴での植樹のお話、大変素晴らしいと思います。
我々も以前から、アロハ桜の後継となる木を植えたいと願っておりました。
是非、ご一緒させて下さい。
もし、話が進みそうでしたら京都市内に植木屋の友人も居ますので、相談もしてみたいと思います。

bco100bn@gmail.com

私も仕事や他の活動もありますのでいつでも、とは行きませんが可能な限り予定をあわせたいと思います。
ご連絡いただければ幸いです。
Posted by 先任先任 at 2017年04月24日 20:53
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