2017年10月03日

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

2017年6月に京都で実施しましたBCo演習に報道員として参加してくれた現役アメリカ海軍の報道員、David Krigbaum1等兵曹が、その詳細なレポートを自身のブログにアップしました。
ブログはアメリカ人から見た、日本での旅やミリタリーを扱ったものです。
今回彼は、日本人がWW2アメリカ軍の再現をどう行っているかに興味を持ち、FBで取材の申し込みをしてきました。
何度かのメッセージのやり取りを経て、参加取材へと繋がったものです。
ブログはアメリカ人向けのもので、当然ながら英語で書かれていますが「日本語で読みたい」と言う多くの要望wがあったため、下手な訳ではありますが今回までの3回に渡ってお送りしてきました日本語訳編、その最終項VOL.4をお送りいたします。
なお、文章の翻訳掲載、並びに写真使用についてもDavid氏の了承済みです。

この元記事はこちら「Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 」にあります。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan



Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.1
Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.2
Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.3

※この項に限り、補足として元記事に無かった写真を追加しています。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)
※Photo by Taro-maru.

私はこの後、行動すべき事は無く、また撮影にはあまりにも暗かった(演習でフラッシュ撮影は禁止しています。兵士達の夜間視力を奪ってはいけないため)ので、軍服のままでベッドに居ました。
私の周囲では絶え間なく動きがあり、定期的に野戦電話のベルや報告がもたらされていた。
本部テント内の空気は酸素、ガソリン(ランタン)、そして絶え間ない煙草に満たされていた。
本部の人々もまた夜を徹して作業しており、寝ていません。

私はいくつかの(ランダムな)日本語を知っていますが、半分眠っている私の耳に知っている数少ない単語の一つが報告の中に聞こえました。

私はベビーベッドで跳ね起きました。
「誰かが”トツゲキ”と言ったの?」

Totsugeki-アサルト。
我々は夜明けにドイツ軍を攻撃するという決定が下されました。
Lt,Nakanishiは中隊幕僚として計画を策定しており0400時、まだ夜が明ける前にそれは実行されるでしょう。

週末を過ごす地獄の方法。
一日中地面を掘り起こし、夜間にパトロールし、夜明けに攻撃する。
それをレーションとジェリ缶風味の水で満たす事です。

夜中のある時点で私は起きて、個人的なビジネスを世話しなければなりませんでした。
私は遠くに行く予定は無かったのでベッドに自分の銃を置いて行きました。

私達のテントの後ろにある茂みでの”ビジネス”を済ませる私に、丘からの引きずるような音が聞こえました。
それが何かはわかりませんでしたが、こちらに近づいていました。
私はドイツ兵のパトロールに関するルールが分からなかったが、突然、非武装になることは悪い考えであることに気付きました。
それは訓練ではありましたが、私は捕虜の奪取に関する方針が不明でした。

私は合言葉を思い出し呼びかけながら、パンツのボタンを閉じつつ警戒しました。
するとTsurumi少尉が合言葉の後半を言いながら茂みから出てきました。
ちょうど報告時間でした。
私は彼からの電話(報告の為、本部に戻る)で起きたに違いない。

つまらない目覚まし時計(ディビットの現代の腕時計)は0345が来たことを私たちに知らせてくれました。私たちはすぐに行動する為の準備をしました。
星は消えて、空はまだ深い青色だったが行動は充分可能でした。
兵士達はフル装備で集合していました。
私たちは斥候で使用したルートに従って前進しました。
明かりが無いためゆっくりとした動きでしたが、私はまだ枝をこするヘルメットの音すら静かな行動に感銘を受けました。
我々の行動を敵に知らせない為、音を出さないように慎重に動くことに緊張しました。
私はカメラマンとして列から離れる事を指示され、私は一番後方の位置に付きました。
撮影のために前方に出るうような無粋な真似で、このような貴重な訓練機会を台無しにはできません。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)
※Photo by Taro-maru.
Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)
※Photo by Taro-maru.
Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)
※Photo by Taro-maru.

我々は、Tsurumi少尉が昨日の午後に発見した敵の陣地に向かい、丘の斜面を横切って進みました。
やがて空が明るくなってきました。
我々は地面に伏せ、静かに”着剣”が告げられ、その時を待ちました。
なお危険な為、銃剣は”想定”で着けられました
Nakanishiは演習全体の管理の為、立って歩いていた。私は全体を見るために彼と一緒に居ました。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)
※Photo by Taro-maru.
Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)
※Photo by Taro-maru.
Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)
※Photo by Taro-maru.
Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)
※Photo by Taro-maru.

最終場面です。
0430時に攻撃が命ぜられ、私たちは "bang!" "bang!" "bang!"と叫んで丘を急上昇させました。
ドイツ兵は0430の我が方の突撃に合わせ行動してくれ”親切”にやられてくれたのでそれは短期間で終わりました。
(本部からの電話で”攻撃準備射撃”と”突撃支援射撃”が想定で与えられ、突撃の寸前までドイツ軍は”砲撃”を受けていました)
(また、実際にはドイツ軍の構築した”鉄条網”の一部を発見できず、攻撃は不十分でした)

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)
※Photo by Taro-maru.
Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)
※Photo by Taro-maru.
Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)
※Photo by Taro-maru.
Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)
※Photo by Taro-maru.
Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)
※Photo by Taro-maru.

作戦完了。
我々は無線で本部にこれから戻る事を伝え、気軽な気持ちでキャンプに戻りました。
帰り道はヘルメットが木の葉で大きな音を立てようとも気にする事はありませんでした。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

この攻撃の主な目的は相手を撃破する事ではなく、彼らがその行動をいかにうまく実行できるかを見ると言うことでした。
Nakanishiは「完璧ではないが行動はうまくいっている」と言い部隊が命令に従って正しく行動している事を確認しました。

私達はドイツ軍を含めた全員が本部テント前に集合し、訓練の成功を祝うために素早く整列し、グループの写真が撮影されました。
それは0500時で既に太陽が登っていた。
その後、彼らには分散して休養する許可が与えられました。
部分の人は森に戻り、自分達で掘った穴でリラックスしました。
朝食を食べたり、寝たり、小銃の分解手入れをしたりしていました。
何人かは本部テントでキャンプを行い、一人の仲間が装備品のすべてを落とし、すぐに開いた草の中で昼寝を始めました。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

私のための簡易ベッドを含め、全員の為にすべての機材を運んで来たkodaは地面にジャケットで枕を作り、朝食後に眠りました。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

私は当初からこのテントの中に積まれていた”朝食”のレーションボックスを開けて、最初の「ホット」な食事を楽しんだ。
ポータブルストーブのおかげで、私たちは水を沸かしました。水筒カップにインスタントコーヒーパウダーを入れてお湯を注ぐと即座に熱いインスタントコーヒーができます!

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

ある程度の休息の後、私たちはドイツ軍と共に集まり小枝、岩や紐を使って、戦場の地図を描いて、事後研究会を行いました。
これは”パワーポイント”の無かった時代に行われたものの一つで、手段は違えど、どの時代であっても行われてきた事でしょう。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

昼食に最後のレーションが支給されました。
今度は10-in-1のセットでメンバー間で共有し分けられた缶詰セットが基本です。
私はHayashiとカメラマン同士仲良くしてチリビーンズ、トウモロコシ、果物を分けました。
彼はは適切な第二次世界大戦モデルの食器を持っていたので、並べてミート・カンの写真を撮った。
第二次世界大戦でどのようにデザインがより便利になったのかを簡単に知ることができました。
彼の新型は甘い果物とチリビーンズを分離できる、深いコンパートメントを持ち、蓋はハンドルの上に置くことで滑らず、1体として運ぶことができました。
私はWWI型の浅いプレートとふたを持っていました。
これらは細かい事です。
しかし、これらの事に細心の注意を払うべき”生活”のイベントでもありました。
(なお、報道員が古い食器を使用するのは正しい”再現”であります)

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

この最後の食事の途中、ドイツ軍の一人がバイオリンを持ち出して、Panzerliedのような古典的なドイツ軍の音楽で私たちを楽しませてくれました。
私はこのような生演奏を聞いた事がなかった。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)

私のためにPanzerliedをプレイしてくれた彼。-カサブランカのハンフリー・ボガート


その後すぐにテントをたたみ、機材の撤収が始まりました。
私達は日常に戻るために通常の服に着替えました。
私達はまるで時間が止まったように感じる瞬間を終え、今は別れる時だった。
私たちはお互いにお別れを言い、日本のどこかの場所に戻って別々の道を歩み始めました。

今回私が書いたすべてを読んだとしても、この「リエナクト」が一体何であるか、を完全に説明するのは難しい。
取扱説明書を読んでその説明をすることと、それを自身の知識、経験として得るためにやっておかなければならないこととの違いです。

彼らは「それがリエナクトだ」という。
これは実際に戦争に行くのと同じではないが、誰もその事を考えないでしょう。
私は歩兵が小銃をどのように持って戦ったかを知る必要があります。
私は怪しい水筒の水を味わい、世界で最も貧しいパックシステムでそれらを運ぶ。

決して目立たない詳細なディティール、くたびれた装備にまで気を使って準備した彼らを私は目の当たりにする事ができた。
私はまだリエナクターではありませんが、私はこれらの人と一緒にテントを共有することができました。

B中隊はここで訓練したようにこれからも繰り返します。
100大隊の事を知らない人々に、実際にそれらを見せることで、興味を持ってもらい伝えるためです。
私は、誰もが日本でこの物語を分かち合う事ができると考えています。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.4(最終)





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Posted by 先任  at 16:19 │Comments(0)リエナクト

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