2017年09月21日

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 訳文vo.1

2017年6月に京都で実施しましたBCo演習に報道員として参加してくれた現役アメリカ海軍の報道員、David Krigbaum1等兵曹が、その詳細なレポートを自身のブログにアップしました。
ブログはアメリカ人から見た、日本での旅やミリタリーを扱ったものです。
今回彼は、日本人がWW2アメリカ軍の再現をどう行っているかに興味を持ち、FBで取材の申し込みをしてきました。
何度かのメッセージのやり取りを経て、参加取材へと繋がったものです。
ブログはアメリカ人向けのもので、当然ながら英語で書かれていますが「日本語で読みたい」と言う多くの要望wがあったため、下手な訳ではありますが今回から数回に渡って日本語訳編をお送りいたします。
なお、文章の翻訳掲載、並びに写真使用についてもDavid氏の了承済みです。

この元記事はこちら「Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan 」にあります。

Reenacting America’s Nisei Soldiers in Japan


(注:ストライプスで同じタイトルの別の話があるかもしれません)

私は日本の第二次世界大戦の再現グループによる週末の訓練に加わる機会を与えられました。

以前の記事を読んだ方はその経緯を知っていますが、そうでない方に説明します。

私は第100歩兵大隊B中隊/ 442連隊戦闘再現グループに参加するにあたり、第二次世界大戦のフィリピン・スカウトを教育プレゼンテーションのために一緒にまとめて研究しました。
実際の442ndは主にニセイ(第2世代)の日系アメリカ人で構成され、第100大隊はハワイ出身です。
第100大隊はパープルハート大隊とも呼ばれ、442nd含めて米軍歴で最も称えられるユニットです。

日本の人々がこのグループの兵士を記念していることに興味を持って、私はFacebookで連絡を取り、英語を話すFacebookの管理者Kodaに感謝しつつ対応し始めました。

私は彼ら自身と、彼らが何をするかについてもっと学びたかったので、インタビューできるかどうかを尋ねました。
彼は私がイベントでそれらに参加させるように提案した。

リエナクトを見ることは、古い白黒写真が現代に蘇り、また文章でしか無いものが物理的な行為で翻訳されているのを見るようなものです。そこにいるのと同じではなく、歴史とやりとりする別の方法です。

私はリエナクトをするつもりはなかった。
私のユニフォームは、読者が私が共有した歴史に関連するアイテムを見たりタッチしたりして、物語を三次元で与えるのを助けることができる為のものでした。しかしKodaのオファーで、私は一歩一歩進んでみたいと思っていました。


当日私は、午前6時に滞在ホテルに近い京都駅のバス停の近くに立ってました。
私はKodaかそれを示す看板を探して荷物を転がしていました。
一人の兵士に必要な基本的な装備は、着用が容易でありそれほど重くはないが、荷物として引っ張られると大きなスーツケースを埋める程になりました。

私が着ていた唯一のギアは、ブーツとカメラ関係でいっぱいのガスマスクの袋が私の体を横切っていたことでした。この時間に、バスのないバスステーションで騒ぎ寄っている少数の人々のうちの1人が私に電話をかけた。
彼は軍の帽子をかぶっていたし、第二次世界大戦の将校の地図のケースを肩にかけていた。彼はKodaではなかったので、私は彼を認識しませんでしたが、彼はおそらく軍隊から私を認識しました。またKodaが彼にアロハシャツで背の高い白人を探すように言ったからです。

彼は私の手を振って自分自身をNakanishiとして紹介した。
彼は1988年以来リエナクトをしていて、2000年にグループを創設しました。
彼は今日出ている数少ないJGSDFのメンバーの一人でRanger資格を持っていました。またユニットは、他に2人のRangerから成っていました。
そのうちの1人はJGSDFの砲兵であり、またKodaはJMSDFのメンバーです。
その他の人々は厳密にには軍事関係ではない民間人でした。

Kodaさんが運転してきたバンには「リメンバーパールハーバー」のバンパーステッカーが付いていた(第100歩兵大隊の紋章)
バンは木製の木枠や荷物で満載されていて、時代遅れのスーツケースを積み込むために背を開いたときにキャンバスの独特の香りがありました。
彼はアメリカの空母と戦闘機が描かれたアロハシャツに100大隊のボールキャップを着用していた。
幾人かのメンバーがすでに彼と一緒にいて、私たちは短い順序で自分自身を紹介しました。
これまで言及された皆のように、彼らはすべてどこかにミリタリーアイテムやヘッドギアを身に着けていました。
私たちは道行くサラリーマンや女性からは、ミリタリーオタクの奇妙な集まりのように見えたに違いない。

とにかく私の日本語は貧しく地元の佐世保方言の半分程度なのですが、このグループはまともな英語を話すので、私たちがキャンプをする宇治に向かう途中でコミュニケーションをとることができました。
私たちは相互に軍事的関心を持ち、写真を共有して時間を過ごすように話しました。グループメンバーの一人はカメラマンのHayashiです。

Hayashiは実際にはリエナクターではありませんが、彼は実際にこれらの出来事を撮影するのが好きで、彼の作品はとても良いです。
私達はどちらもカメラマンなので、お互いのショットを被らないようにしました。彼はヴィンテージカメラとデジタルカメラの両方を持っていました。



私たちは宇治のコンビニでグループの他のメンバーと会った。
付近は出発した都市部とはまったく違って、緑が多くあった。
他のメンバーも私たちに似ていて、大部分の軍事用品や服を着ていました。
我々は紹介をして、トレーニングエリアに向かう前に最後の朝食を摂りました。

トレーニングエリアはいくつかの建物と道路があることを除いて、森林の多い丘に囲まれていました。私たちのキャンプは平らなエリア、草の薄い硬い土に設置されました。
道が私たちの前にある森の中にさらに入り、丘の上にはやや穏やかな45度以上の傾斜がありました。
傾斜の先は河床に導かれ、反対側は紅葉の下で姿を消した丘陵地をさらに上っっていた。

エリアには幾人かが我々と会うためにそこにいたが、彼らは米軍ではなかった。フィールドグレイウールの軍服の半数は木製のテーブルの周りで待機していました。
ドイツの国防軍の国章を自分のチュニックに着けたり、自分たちのユニフォームのフィット感を調整をしていました。
彼らは「黒騎士中隊」と言うグループで、お互いのトレーニング強化の為参加していました。
今日までに、2つのグループは互いに一緒に訓練を受けたことはなかった。



(軍服に鉤十字と鷲の国章を縫う。
ロープはサバゲで使用する時用のセーフティエリア、喫煙所を示すための物であり灰皿等を含めて現代の物を排除はできませんでした)



以下は私自身の準備のポイントです。

”戦闘的な”外観にもかかわらず、完全な軍服を身に着けた事がなかった。
一般社会の中でそれは浮きます。
私は以前軍服で試してみたが、ブーツを除いてそれを着用する機会は一度もなかった。 私はそれらを馴染ませる為に数ヶ月身に着けていて、「レトロ」スタイルで褒められていました。





参加者は全員それぞれの役職があり、その役職に応じた服装、装備をします。
私のこの部隊における役職はアメリカ陸軍第5軍の報道カメラマンでした。
私の能力は限られていたが、この役職を与えられた為に演習の全体を見る事ができました。

私は斥候に追従して行動する事も許可されましたが、決して「加担」することはありませんでした。
それらハードな面は専門の兵士が行い、私は乗り物を楽しむように見学に位置で写真を撮りました。
これは私が現実の仕事でジャーナリストとして行動する時の事を考えると、まさに自分の「生活」の再現でもあった。この演習において、私はこれまでアフリカ等で行ってきた仕事での訓練と同様だったのです。

基本的なユニフォーム、ブーツ、ベルト、パンツ、シャツはデザイン上かなり共通していますが、20世紀初頭の軍用ベルト/バックパックシステムは現在においては不便な部分も当然存在します。

Tsurumi「少尉」は、すべての装備が正しく着用され、必要な場合は緩める箇所も指示し、調整を手助けし始めました。
他のメンバーが服を着ているとき、彼らはお互いにこれをしました。
ストラップや背面の調整は自分では困難なものです。

歩兵ではない私は、将校用のミュゼットバッグ(小さなバックパック)を持ち、M1936ピストルベルトを装着しました。
バッグはストラップやベルトに付いているぶら下げギアに取り付けられています。
救急キット、食器、拳銃、予備の弾倉など、私が必要とするものはすべてそれにあります。







部隊が正確さを追求している中、ちょっと変わっているのは階級制度でした。
通常本部から任命された階級章を身につけ命令を出す側、出される側が明確にされるのですが、この部隊では階級にこだわりが無い様に見えた。
今日の中尉は次回は軍曹である場合もあるのです。固定されていない。
TsurumiはRangerであり、Nakanishiと共に士官をしていたが、それにはリーダーシップが必要です。

全員の着替えが終わり、次は補給品や物資、箱の山、そして個人装備が集積されます。
それらは個人的に収集したものの集大成であり、メンバー全員がいかに真剣に取り組んでいるかを示しています。
その後(発砲できない)銃器、主にガーランド(M1ライフル)の他、拳銃、トミーガン等が配布されました。
個人で所有している物の他、部隊から貸し出された武器も多い。
ほぼ全て実物銃器を使用するアメリカの再現と異なり、日本では法律の規制がありそれらを使用する事はできません。
その代わり最大限、日本で可能は偽の銃器を使用して彼らは活動しています。



私はカメラマンだったので、設営中にできる事は限られていました。
役割や言葉の壁だけが理由ではなく、設営作業もまた彼らの訓練の一環だったからです。
彼らは年に数度しかこの本部テントを建てれませんし、本部の設営には多くの作業があり、それらは貴重な訓練機会でした。

私はメンバーの1人Gotoを手伝いました。
Gotoは車から無線機のセットを運び出していました。
また私はそれまで気付いてませんでしたが、木箱や水缶の他に折り畳み式のベッド、椅子、机等もありました。
誰かがジェスチャーで「ベッドと机の1つはあなたの為だ」と教えてくれました。
彼らは上級部隊から派遣されてきた私が、仕事ができるよう、ふさわしい環境を整えてくれたのです。
また同時に、夜の寒さを体験するために私自身も多少の犠牲を払っても「リアル」にしなければならない事に気付きました。








次回へ続きます。
  


Posted by 先任  at 19:08Comments(0)リエナクト

2017年08月23日

フランス442RCT記念碑の修繕、改築に関する寄付の募集。

フランス、ブリュエール(ブリエア)の解放については、このブログを読んで下さってる方には説明不要かと思います。

第二次世界大戦、欧州戦線において第100大隊を始めとする第442連隊戦闘団の日系兵士達が1944年10月にドイツ軍守備隊を撃破、解放した街です。

詳しく知りたい方はドウス昌代氏による「ブリエアの解放者たち」をお読み下さい。
日系部隊史で最も良書であり、大変良い読み物であると思います。
また時系列等はウィキペディアの「第100歩兵大隊」の項目をご確認下さい。


現在のHill555にある記念碑。

その街の外れに第442連隊戦闘団への感謝と功績を称える記念碑が建てられていますが、現在は老築化が進み荒廃しているとの事でした。
フランス人歴史家Mayor Yves Bonjean氏はこの記念碑の修繕、増築計画を立て、広く寄付を募っています。


増築後のイメージ図

私どもBCo/100Bnとしても少しでも助けになれば、と思い日本から寄付を送ります。
もし、戦後日本の礎の一旦を担ってくれた日系アメリカ人兵士達の事を思い、寄付に協力して下さる方が居ましたら、連絡を下さい。
私の方でまとめて寄付を行う予定です。
※これは信用して下さるしか無いのですがw

なお、計画は2017年10月15日の完成を目指しており、急がれています。
私の方は急ですが8月中に募集を打ち切り、9月初頭に寄付を実施予定です。
また、寄付名は「BCo/100Bn in Japan」で申し込みます。ご了承下さい。

また、Paypalが使用できる場合は個人での寄付も可能です。

http://hill555.org/
のサイトからお申し込み下さい。


ブリエア解放当時。街に展開中の第442連隊戦闘団。



以下にサイトの初めの言葉について和訳を載せておきます

1947年10月、感謝しながらもまだ荒廃していたブリュイエールにドイツの侵略者から街を解放した日系アメリカ人を偲んで、Hill555の近くに記念碑を建てました。
この歴史的に重要な記念碑は、現在経年劣化と自然、または人的による破壊行為の影響を受け老築化しています。

これを受けて、有志による現存する記念碑の修復に加えて、地元の採石された原石を使って記念碑を追加する計画を立てています。
新しい記念碑は442 RCTのショルダーパッチのデザインに基づいて準備されています。
最終的な設計と配置は変更される可能性がありますが、ブリュイエール市長と市議会はこのプロジェクトを承認し、2017年10月までに完成を予定しています。

このプロジェクトは、関心のある個人や組織の貢献を通じて100/442RCT、522FAB、および232ENGに奉仕した人々の家族および友人の支援によって行われます。

「BruyèresHill 555 Project」の名で基金が開設されました。
プロジェクトの進捗状況に基づいて、完了した作業のために市に支払いが行われます。
また残りの資金は記念碑の維持のために市に寄付されることになっています。

Mayor Yves Bonjean



建立当時の記念碑。




記念碑で解放を祝うブリエア市民





ジョン・ツカノ氏「愛の架け橋」に掲載された記念碑。
若きピエール・モーリン氏の姿もある。  


Posted by 先任  at 17:08Comments(0)つれづれお知らせ