2018年10月21日

2018年 サマーキャンプ 番外編

2018年8月に実施したBCoサマーキャンプに参加した、現役のアメリカ海軍下士官ディビット君が自身のブログにそのレポートを書いてくれました。
つたない翻訳ですが、ご紹介します。

http://www.wayfarerdaves.com/?p=2918

このブログは元々ディビット君から見た日本のあちこちの名所や戦跡を紹介するもので、多くのアメリカ人、とりわけ在日米軍の方々が見ています。
またディビット君は本来の仕事も米海軍の報道、広報ですが、趣味としてリエナクトメント、特に1941年開戦前のフィリピンスカウトの再現を行っている方です。
彼は最初のコンタクト時期に「私は本来ならば1兵士として加わりたいが、日系部隊で白人兵士は居ないだろう。よって士官か他の役職、どれが良いでしょう?」と聞いてきた人です。
私が「軍報道員でカメラ撮影などをするのがベター」と答えると彼は、
「それは私の本来の仕事、感謝します!」と喜んでうちに参加してくれてます。

さて、ではブログ記事の和訳を紹介します。
Louisiana in Shizuoka: Reenacting Summer Camp 2018



我々は日本の高原に行った筈でしたが、そこはルイジアナのような湿気に包まれていました。

私は(第442連隊戦闘団)第100歩兵大隊、B中隊の再現グループと、夏季訓練を実施しました。
今回の訓練の想定はルイジアナ機動演習であり、実際に第100歩兵大隊がイタリア出征前に参加したものです。
雨が降るまではそこは湿地帯ではなかったが、湿度は100%に近く、まるで泳げるような気分でした。

昨年夏に初めてB中隊に参加した際の想定は1944年7月のイタリア戦線カステリーナ近郊のHill140への攻撃でした。
その時は戦術的な行動、個人用塹壕掘り、斥候、夜明けの山への突撃を実施しましたが、今回はより基本的な更新訓練と陣地構築が目的でした。

静岡県富士市のNMVAキャンプ場には早朝に到着しました。
NMVAは日本の軍用車両の協会であり、実物のWW2~冷戦期の軍用車両を扱うグループです。


今回の演習は戦地への派遣前の想定で1942年の装備被服の再現が必要でしたが、これらの装備は開戦時からほとんど更新されていないものでした。

彼らはWW1時代の装備と、HBTやM1937デニムの被服を身に着けました。海軍や砲兵でもなければそれらは滅多に使用されない。
前回とは違って、1941年のフィリピンスカウトを紹介するために収集した装備が役立ち、私は「新しい装備」を探す必要はありませんでした。







リエナクターはデティールに拘る者が多く、誰がどれを持ってきたのか、それがオリジナルか複製かを確認しながらお互いに装備を確認していきました。
これは(※オリジナルを推進したりでは決してなく)、今後更に良い再現を実施するための学習です。
これに熱い議論を交わす事は我々がおもちゃの鉄砲を持って雨の中。森の中を歩き回る事以外に集まる理由でもあります。

今年のキャンプは以前の物より少し大きめでした。
野戦炊事所、食事ホール、個人テントを設営しました。

我々は午前9時から開始し、それは予定通りでしたが設営に午前中をすべて使いました。
私は日本語が不得手なので、写真撮影を中心に活動し大型テントの設営を手伝わなかった(※そのように指示していました)が、彼らが機材を移動する時にはそれを手伝いました。



昨年会った~太郎丸さんと、WW2時代のカメラで実際に撮影を行う馬好きさんの2人のカメラマンがいました。
彼のカメラはほぼ半世紀にわたって報道カメラマンが愛用した、象徴的カメラであるSpeedGraphicsと、Eye-mo 35mm film camera、そして小さなLeicaでした。
私はSpeedGraphicsを今年の初めに購入しましたが、それをどう操作するのかがわかりませんでした。
私はそれを今回持って来なかったが、操作方法を見せて貰う事を希望しました。
私は練習の為に唯一持ってきた当時のカメラは1940年に製造されたArgus C2でした。
あまた太郎丸さんもアーガスを持って来ていました。
また、馬好きさんはWW2のヴィンテージ切手を見せ、皆に配ってくれました。
その中には日本の戦争の英雄である乃木希典の切手もありました。
私はWW2当時の日本の切手を見た事が無く、とても感謝し、更に今後私のプレゼンテーションで使用することができるアイテムを更に収集しようと思いました。



メンバーが歩兵の訓練を実施中に私はカメラの操法訓練を受ける事ができ、嬉しかった。
設営作業の他、各個にM1910背嚢のパッキングについてお互いに教えあい、学びました。
これはおそらく最悪のバックパックで、50年にわたって軍で使用が強制されました。
※正確には30年余り、ですかね。
梱包する中身に加えてミートカンポーチ、シャベルキャリア、バヨネット等の追加装備を付けたこれをパッキングするのは芸術の域です。



M1910とそれ以降のM1928(わずかな変更が加えられた同じシステム)は、ベルトとパックの組み合わせであり、パックがベルトを保持する必要があることを意味します。
パックはまたホーボー袋のように開いています。
※ホーボーとは渡り鳥の事で、ここでは季節労働者の持つ風呂敷のようなものを指します。

上、下、側面はすべてパッキングするために一緒に縛られますので、物を取り出すには、毎回コンビネーション全体を外して地面に敷いてストラップを外し必要があります。

妖精がホーボーで酔っ払ってしまって、この混乱が起きたのは悪い考えだ。
※上手く訳せませんでしたw

設営完了後、昼食の為に一旦作業は中断されました。
メニューは最高の加工肉と酢漬けキャベツのホットドッグでした。
更にARCからの慰問が合流しました。



Bob Buker氏は妻、家族と日本を訪問していましたが、アメリカ赤十字のユニフォームを着て70年前の郵便物の袋を運んで私たちに参加する時間を作りました。
彼は1978年以来再現活動をしており、USI、赤十字、陸軍郵便局などUS GIのレクリエーションと士気に基づく再現を主にしています。
彼はまず、Facebook経由で連絡を取り、私がやったのと同じ方法でBCoにやって来ました。
BCoの細心の注意を払う再現に感銘を受けグループに会う為にやってきたのです。

Buker氏はBCoにこう語りました。
「私は過去1月と8月にこれを訪問することができました。私はより良いリエナクター、研究者を目指しており、私のリビングヒストリーの基準を向上させる事ができる皆さんに合う為に来た」
"私の目標の1つは、一般的であるが真正性の高い基本訓練です。”
※以前聞いた所によるとアメリカでも基本教練は多くがおろそかで実施していない。したがって、正確な動作を出来ない者が多いそうです。


昼食は、火を吐く食器洗い機との最初の遭遇でした。
我々は3つの金属ゴミ缶に水を満たしていました。
ガソリンで動力を得ていた2台のヒーターは、始動するために火を吹き消して着火するのを待っていました。
石鹸水が暖かくなったら、私たちは食器を取り、それぞれの缶でそれらを洗います。
M1926型の食器を使用する他の人は、全部を引っ掛けて一緒に洗う事ができ、簡単でしたが、私はM1910型、つまりWWIの食器を使用しました。
それはすべてを個別に洗う必要がありました。 ありがたいことに私はラインを遅らせる事はありませんでした。



昼食後、ラッパが鳴り、Buker氏はメールコールを呼びかけて「自宅から」手紙を出した。
Bukerが出したすべての手紙には、1942年に送られた手紙の適切な郵便料金徴収票とその上のPan Am Clipperの復刻スタンプが正確に含まれていました。
BCoメンバーはハワイ出身のニセイをモデルとした自分たちの設定を事前に伝えていたので、その手紙には日本名とアメリカ名が記されており、更にはハワイの住所までも書き込まれていた。当時のハワイの領土。



Buker(左)が手紙を配布しています。



(私もドッグタグを使って同じことをしており、初めて寄ったフィリピンのBar”Don the Beachcombe”の住所を使用してました。
Bukerの妻と彼女の友人が書いた手紙を配られたメンバーは喜びはしゃぎました。
また、居ないメンバーの名前が読まれた時はそれを「戦死」または「入院」と扱う事で彼らはこの場に来れなかったメンバーの為に祈りました。



手紙を配り終えると、彼は古い未使用品のラベルや、小さな缶、本等の当時の実物を取り出しでメンバーに配布しました。
これらは目立つものでは無いかもしれませんが、再現を向上させる細部の物であり、我々にとっての宝物でした。
残念な事にBuker氏はレンタカーの事情で一泊する事は叶わず帰路に着きますが、この日のとても貴重な時間を共有できました。
メンバーは整列し、第100歩兵大隊の歌を歌って彼を見送りました。
(私は彼らと過ごすとき、いつもその音楽性に期待しています。前回は日本人のドイツ兵がランチに”パンツェーリート”をバイオリンで弾いてくれました)



お楽しみ時間は終わり、午後からはハイキングの為の準備として行進訓練に費やされました。
一時期雨も降りましたが、訓練は続きます。
朝は暑く、湿った空気でしたが8月に日本を絶え間無く襲った台風の為、天気は変化しました。
午後からは断続的な雨と曇りでした。





教官のT軍曹は行進訓練に区切りを付け、講評を伝えました。「概ね良し」
その後、行軍訓練が始まります。
背嚢を背負うその行軍は、私は自分がカメラマンである事に感謝する内容です。
午後遅い時間となり、雨は止んだが気温も下がっていました。


当初の計画は、フィールド内の森林の道を2時間ほど歩くことでしたが、そのような努力に慣れていない一般市民にとっては地形が予想よりも難しく、更には霧が出始めたので、このコースの続行は危険と判断されました。
このコースはもはやホラー映画の様相を呈してます。
最初の周回で森を抜けた後、私たちはキャンプの近くにある高台へと移動し、残りの周回をそこで実施しました。



最初は静かな行軍で、水分補給のための小休止を命じる命令のほかには、ほんの少しの会話がありましたが、しばらくしてから歌が始まりました。
最初は1人か2人で始まったその曲は、半分程度覚えられた歌詞をあてがってまるで全部覚えれているかのように、より多くのメンバーによって歌われました。





日没後、夕闇が来る前にキャンプに戻り、一部の兵士たちは丘を登ってまだ設営されていなかった残りの個人テントを仕上げました。
2人用の陸軍テント。
各兵士はロープとポールに加え、半分のテントを支給されます。
完全なテントとしてセットアップするためには、2人の兵士と共同で張らなければなりません。

夕食はランチよりしっかりしていました。
それはステーキ、野菜、オートミール、パイナップルのリングと言う現代とはまた違った組み合わせでした。
夕食後、 私たちは雑談で盛り上がりながら就寝までの時間を過ごしました。
昔の戦争映画や良い音楽は国の区別なく普遍的であるからです。
雨が再び降り始め、本降りとなりました。



何人かは丘の上に張られた個人テントへと戻り、残ったメンバーは食堂の机を分解した板を、泥まみれの地面に置いてその上で寝ました。



朝は混乱の中で訪れました。
全ての物は水没し、泥にまみれていました。
雨は止んでいましたが、いつでも降りそうな気配を示していたため、我々は荷物を撤収し、車両へ積載する時間を早める必要に迫られました。
我々はすみやかにチキンのランチを摂り、その後荷物を汚れたり濡れたりする前に積載することにしました。



多くを撤収した後、私達は今回のキャンプの残り項目であった体育を実施しました。
キャンプマッコイのTシャツに運動用ショートパンツ、しっかりしたブーツを履いたメンバーが体育をします。

楽しい週末でしたが、それは泥に覆われ、それを克服した我々が勝ち取ったものと思います。
私がBCoと一緒に活動したのは3回目でした。
前回は3月の舞鶴でのアロハ桜の植樹式でした。

私はまた次回を楽しみに期待しています。





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Posted by 先任  at 06:37 │Comments(0)リエナクト

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