2019年05月13日
イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere” レポVol.4
2019年4月28~29日にかけて開催しましたリエナクトメント、「イタリアンフロント1944”Battle of Belvedere”」のレポート第4項をお送りします。
数年前から温めてきた、小規模でも内容の濃いリエナクトメントをやろうとの企画でしたが、今回戦史研究団体 Lueders Kaserneの協力を得て、開催に漕ぎ着ける事ができました。
想定時期は1944年6月の中部イタリア。
ローマを開放し、北上する連合軍の尖兵として進撃する第100歩兵大隊。
対するはドイツ陸軍の主力後退を支援する、第162歩兵師団隷下のトルキスタン義勇軍第1野戦大隊。
戦史において記述と地図から読み取れるのはここまでです。
この先の中隊、小隊以下の行動に関して残る記録はありません。
当時の状況から、何パターンもの想定が考えられる中で、充分起こりえたと考えられる状況を両軍参加者に付与し、1夜2日をュミレートして実施致しました。
夕食の時間になりました。
出発前に各自に支給したKレーションを食べます。
内容物はクラッカー、フルーツバー、チョコバー、ガム、コーヒー、角砂糖
そしてポークパテ缶と落し紙です。
何度か書いていますが、Kレーションは元々空挺部隊用に開発された携行糧食ですが、その支給の利便性から全兵か問わず支給され、主に前線で兵士達に食べられました。
実際、このような状況の再現においても事前に配り、各自の背嚢に入れておけばどこでも食べさせる事ができるのは大変便利なのがわかります(事前準備は大変ですけどね!w)
一日中行動し、穴を掘り、斥候に出て疲労した身体に昼とたいして変わらないような単調なメニューは、良い体験になったものと思います。
(もっとも統裁部の食事も同じです)
夕食の後、翌日分の10in1レーションが支給されました。
翌朝の攻撃前に食べるのか、攻撃が終わってから食べるのか。
その裁量は分隊長に一任しました。
以降は夜間状況となり、写真は一切ありません。
夕方から降り始めた雨は一時的なものと考えていましたが、結局朝まで降り続けました。
その間、両軍は歩哨と斥候を繰返します。
月明かりは遮られ、霧も発生し視界はかなり下がりました。
以下は本部に有線電話にて報告された内容のまとめです。
A アメリカ軍の報告
D ドイツ軍の報告
1700 A 3名による斥候前進開始。
1728 D 敵2名を発見、その後見失う。
1755 A 斥候帰隊 異常無し。 敵の障害及び陣地について遠方より確認。障害の端については確認できず。
1800 D 定時報告 異常無し。
1840 D 1名を本部へ移動(体調不良により後退、以後本部にて休息させる)
1900 A 夜間斥候1回目を下令。1900~2100.
1902 D 定時報告 異常無し。
1923 D 1名が転倒により負傷。 本部へ後退(以後、本部にて休息させる)
1933 D 左斜面に人影あり。射撃。効果不明。(後退する味方への誤射か?)
1935 A 5名による斥候、前進開始。
1948 D 正面40mに敵2名を発見。左へ移動。
1952 D 右側くぼ地にて敵らしき兆候。誰何を実施。応答無く4発発砲。効果不明。
2003 D 1名本部へ移動(薬を忘れた為、取りに戻る)
右歩哨アラート発令(敵斥候の発見か、味方の移動か不明)
米軍斥候と薬を取りに行ったドイツ兵が接触してしまい、一次状況を中断。双方を後退させる。
2030 A 斥候3名帰隊。 敵の歩哨位置、MG陣地(誤認)を確認。
2115 D 敵斥候2名を捕獲。本部へ後送する。(2名については1時間本部にて拘留の後、陣地へ復帰させる)
2207 D 左前方40mから物音(該当無し)
2220 D MG陣地前方75mに明かりを視認(米軍側はライト等使用しておらず不明。駐車場の車両か?)
2230 A 第2回夜間斥候を下令。2300-0000。
2256 D 明かりが消える。
2300 A 7名による斥候、前進開始。
2310 D MG陣地正面 2~3名の足音を聴知。
2315 D MG陣地正面 4~5名の足音を聴知。
2330 D ドイツ軍主力の撤退が完了。丘を放棄し、後退を下令する。
(人員減、及び天候と体調を考慮し、ドイツ軍については想定後退させ本部、待機天幕にて休息させる事とする。
なお、アメリカ軍については状況の継続可能と判断し、ドイツ軍の後退を察知できるか否かで明朝の攻撃実施を判断するとする)
2345 A 斥候帰隊。 再度の斥候を下令。0000-0100。
0000 D 陣地放棄、後退開始。
0005 A 斥候3名前進開始。
0100 A 斥候帰隊。異常無し(ドイツ軍撤退を察知できず)
0120 D ドイツ軍撤退完了。
0130 A 攻撃命令下達。明朝0600前進開始。
記録は以上です。
この後、アメリカ軍は各自掘った退避壕で朝まで過ごしました。
一方のドイツ軍は後退を完了し、本部の待機天幕にて過ごしました。
以下次回に続きます。
追記
ドイツ軍だけ後退させたのは様々な理由を総合的に判断しての事でしたが、実際ドイツ軍参加者も大変頑張ったと考えます。
慣れない環境で、これまでこのような訓練の経験もほぼ全員が無い中で指揮と士気を維持し、努力を継続しました。
今回は状況を一部切る事にはなりましたが、また次回以降への良い経験になったかと思います。
数年前から温めてきた、小規模でも内容の濃いリエナクトメントをやろうとの企画でしたが、今回戦史研究団体 Lueders Kaserneの協力を得て、開催に漕ぎ着ける事ができました。
想定時期は1944年6月の中部イタリア。
ローマを開放し、北上する連合軍の尖兵として進撃する第100歩兵大隊。
対するはドイツ陸軍の主力後退を支援する、第162歩兵師団隷下のトルキスタン義勇軍第1野戦大隊。
戦史において記述と地図から読み取れるのはここまでです。
この先の中隊、小隊以下の行動に関して残る記録はありません。
当時の状況から、何パターンもの想定が考えられる中で、充分起こりえたと考えられる状況を両軍参加者に付与し、1夜2日をュミレートして実施致しました。
夕食の時間になりました。
出発前に各自に支給したKレーションを食べます。
内容物はクラッカー、フルーツバー、チョコバー、ガム、コーヒー、角砂糖
そしてポークパテ缶と落し紙です。
何度か書いていますが、Kレーションは元々空挺部隊用に開発された携行糧食ですが、その支給の利便性から全兵か問わず支給され、主に前線で兵士達に食べられました。
実際、このような状況の再現においても事前に配り、各自の背嚢に入れておけばどこでも食べさせる事ができるのは大変便利なのがわかります(事前準備は大変ですけどね!w)
一日中行動し、穴を掘り、斥候に出て疲労した身体に昼とたいして変わらないような単調なメニューは、良い体験になったものと思います。
(もっとも統裁部の食事も同じです)
夕食の後、翌日分の10in1レーションが支給されました。
翌朝の攻撃前に食べるのか、攻撃が終わってから食べるのか。
その裁量は分隊長に一任しました。
以降は夜間状況となり、写真は一切ありません。
夕方から降り始めた雨は一時的なものと考えていましたが、結局朝まで降り続けました。
その間、両軍は歩哨と斥候を繰返します。
月明かりは遮られ、霧も発生し視界はかなり下がりました。
以下は本部に有線電話にて報告された内容のまとめです。
A アメリカ軍の報告
D ドイツ軍の報告
1700 A 3名による斥候前進開始。
1728 D 敵2名を発見、その後見失う。
1755 A 斥候帰隊 異常無し。 敵の障害及び陣地について遠方より確認。障害の端については確認できず。
1800 D 定時報告 異常無し。
1840 D 1名を本部へ移動(体調不良により後退、以後本部にて休息させる)
1900 A 夜間斥候1回目を下令。1900~2100.
1902 D 定時報告 異常無し。
1923 D 1名が転倒により負傷。 本部へ後退(以後、本部にて休息させる)
1933 D 左斜面に人影あり。射撃。効果不明。(後退する味方への誤射か?)
1935 A 5名による斥候、前進開始。
1948 D 正面40mに敵2名を発見。左へ移動。
1952 D 右側くぼ地にて敵らしき兆候。誰何を実施。応答無く4発発砲。効果不明。
2003 D 1名本部へ移動(薬を忘れた為、取りに戻る)
右歩哨アラート発令(敵斥候の発見か、味方の移動か不明)
米軍斥候と薬を取りに行ったドイツ兵が接触してしまい、一次状況を中断。双方を後退させる。
2030 A 斥候3名帰隊。 敵の歩哨位置、MG陣地(誤認)を確認。
2115 D 敵斥候2名を捕獲。本部へ後送する。(2名については1時間本部にて拘留の後、陣地へ復帰させる)
2207 D 左前方40mから物音(該当無し)
2220 D MG陣地前方75mに明かりを視認(米軍側はライト等使用しておらず不明。駐車場の車両か?)
2230 A 第2回夜間斥候を下令。2300-0000。
2256 D 明かりが消える。
2300 A 7名による斥候、前進開始。
2310 D MG陣地正面 2~3名の足音を聴知。
2315 D MG陣地正面 4~5名の足音を聴知。
2330 D ドイツ軍主力の撤退が完了。丘を放棄し、後退を下令する。
(人員減、及び天候と体調を考慮し、ドイツ軍については想定後退させ本部、待機天幕にて休息させる事とする。
なお、アメリカ軍については状況の継続可能と判断し、ドイツ軍の後退を察知できるか否かで明朝の攻撃実施を判断するとする)
2345 A 斥候帰隊。 再度の斥候を下令。0000-0100。
0000 D 陣地放棄、後退開始。
0005 A 斥候3名前進開始。
0100 A 斥候帰隊。異常無し(ドイツ軍撤退を察知できず)
0120 D ドイツ軍撤退完了。
0130 A 攻撃命令下達。明朝0600前進開始。
記録は以上です。
この後、アメリカ軍は各自掘った退避壕で朝まで過ごしました。
一方のドイツ軍は後退を完了し、本部の待機天幕にて過ごしました。
以下次回に続きます。
追記
ドイツ軍だけ後退させたのは様々な理由を総合的に判断しての事でしたが、実際ドイツ軍参加者も大変頑張ったと考えます。
慣れない環境で、これまでこのような訓練の経験もほぼ全員が無い中で指揮と士気を維持し、努力を継続しました。
今回は状況を一部切る事にはなりましたが、また次回以降への良い経験になったかと思います。
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