2018年01月16日

2018新年会 レポVol.6

まずは御礼を。

アロハ桜保存会による「ハワイ日系二世兵士達の想いを継ぐ。アロハ桜を舞鶴で植樹したい」プロジェクトは、ネクストゴールを含め、その目標金額を達成する事ができました。
皆様のご協力のおかげと、保存会代表の野口を始め一同大変喜び感謝しております。

寄付の受付は2月22日までとなっております。
もしご協力下さる場合は、引き続き可能ですのでよろしくお願いいたします。
https://readyfor.jp/projects/8739alohasakura

ハワイからも応援のメッセージを多数頂いており、ハワイMISベテランズクラブ、及び第100歩兵大隊ベテランズクラブからは3月10日の植樹式当日に参加するためのツアーが計画されています。
我々BCoは式典においてリエナクターとして当時のMIS兵士による植樹再現を実施する予定ですが、まさか「ホンモノ」の目前で行う事になろうとは。。。。緊張します。

さて、間が空いてしまいましたが新年会レポートの第6弾です。





やはり明け方はかなり冷え込みました。
水缶の水も凍っています。
簡易KPでは午前4時頃からフィールドレンジに火を入れて湯を沸かしました。



そして日の出。
2日目も快晴です。
体調不良者は居ませんでした。(安心)












朝食の支給が始まります。
なるべく温かい物を、と気を配って調理、配食しますが気温が低くすぐに冷めてしまいます。
朝食時に同時に昼食のパーティアル・レーションも支給します。
Kレーション同様の携帯レーションで、クラッカーやシリアルバー等の乾き物に肉の缶詰です。




朝食は米軍レーションの中でももっとも有名なメニューの1つ。 鳥の〇〇、等とも呼ばれたパンのミンチ・クリームソース和え、ベジタブルミックス・スクランブルドエッグ(粉末卵使用)、パインアップル、コーヒー。








喫食風景。
やはり兵隊はこのような食事風景が似合います。
テーブルや椅子などは戦地では普通、ありません。
村に駐屯したり民家を接収したりして一時的に使用する事があるのでしょうが、それも長い期間ではないでしょう。
なお野戦テーブルや軍用の椅子などは存在しますが本部等の事務に使用されるもので歩兵の生活の為にはありません。

大きな宿営地になると、MessHallと呼ばれる食堂が開設されます。
そこでは、様々な資材で作られたテーブルや椅子が置かれ、兵士達も大きな屋根の下で食事をする事ができるようになります。
「大きな宿営地」を再現するのは大変ですがw






食後、僅かな時間を使ってテントの周囲で毛布や外套が干されました。
湿気を含んだままでは、夜にまた困る事になります。
可能な限りで兵士は「乾燥させた被服、毛布」を望んだことでしょう。

次回に続きます。





  


Posted by 先任  at 16:16Comments(0)教練会(Training)

2018年01月15日

アロハ桜、植樹リエナクトとプロジェクトへのご協力のお願い。

新年会レポート、第6項。

の前にインフォメーション。



過去に舞鶴のアロハ桜について、何度かご紹介してきましたがこの度
アロハ桜保存会 "Aloha Sakura Preservation Society"
を設立し、オリジナルのアロハ桜の保存管理と、アロハ桜の意思を継ぐあらたな桜の植樹、記念案内碑の設置を行う事となりました。

第二次世界大戦終戦後の荒廃した日本。
京都北部の軍港であった舞鶴市に素敵なプレゼントを下さった方々が居ました。
アメリカに移民した日本人を父母とするハワイ日系二世アメリカ兵たち。
彼らは来日した際、初めて見たサクラ美しさに心を惹かれ「心の豊かさを取り戻してもらおう」と舞鶴市内の共楽公園他に100本もの桜の木を植樹しました。
※正確には公園に70本、近くの中学校に30本が植えられ、公園に植えた70本の中の30本が育ち、長らく公園の桜の代表格であったと言われております。

戦後70年が過ぎ、長年に渡って日米友好と平和を祈り続けてきた「アロハ桜」も年老い、記念碑の側の一番のシンボルだった老木は中から腐り無残にも切り倒され、切り株となっています。
残った周りの桜の樹々も元気を無くしているように感じました。
植樹当時からアロハ桜を見守ってきて下さった方々も、メンバーがご高齢になり解散してしまった現在、アロハ桜の保存管理と新たな桜の植樹を思い立ちました。
「アロハ桜保存会」はアロハ桜を贈ってくれたハワイ日系二世兵士達への感謝の気持ちを今後も残し、伝えて行く為に設立いたしました。



オリジナルのアロハ桜の苗木はFujio Takaki少尉(当時)と言う一人のハワイ日系二世アメリカ兵の私財によって手配されました。
終戦直後の日本に来て各地を巡ったTakaki少尉の目に映ったものは心まで荒廃し、すさんだ日本人と、初めて見た桜の美しさでした。
戦中から貯めていた給料を日本に住んでいた母親に渡して、家の修繕をして貰おうとしたTakaki少尉に母親は言います。
「あなたがそう思うなら、すべての日本の人達のために何かをしなさい」
悩んだ末にTakaki少尉はすべての日本人への贈り物として桜の植樹を思い立ちます。
しかし苗木を手配した直後に転勤することとなってしまったTakaki少尉は、他の日系二世兵士達にその植樹を託し、舞鶴を離れる事となりました。
時に1950年。
舞鶴に無事に届いた桜の苗木は、日系二世兵士を中心とし他の兵士や市民の協力の下で植樹され、現在の桜の名所である舞鶴「共楽公園」のリーダー格として長年に渡って市民の心を癒し、日米友好と平和の祈りのシンボルとされてきました。


「アロハ桜保存会」Webサイト

更に詳しいエピソードを掲載しております。
アロハ桜保存会は、植樹から70数年を経たアロハ桜のオリジナルの保存管理と、その意思を継ぐ新しいアロハ桜の成長を見守るために設立しました。
終戦直後の荒廃した日本へ、素敵な桜の贈り物をして下さった日系二世アメリカ兵士。
その物語を伝え残すための活動を行っています。
1月11日より2月22日までの間、皆様によるご寄付を募集しています。
詳細については下記URLをご確認下さい。
https://readyfor.jp/projects/8739alohasakura

設立 2017年12月


「アロハ桜保存会」による植樹の実施について

2018年3月10日に「アロハ桜保存会」としてアロハ桜の意思を継ぎ、戦後の舞鶴に素敵な贈り物を下さったハワイ日系兵士達への感謝を込めて新たな桜の植樹を行います。
場所はオリジナルのアロハ桜の近く(植生に影響の無い距離を置いて)です。
植樹時にはリエナクター(歴史再現者)の協力を得て、当時の日系兵士の姿による植樹の再現を行う予定です。

  


Posted by 先任  at 02:09Comments(0)お知らせ教練会(Training)