2017年05月19日

BCo6月演習 参加者募集

2017年6月3,4日に兵隊生活体験会としてリエナクトメント(演習)を実施します。





目的
・WW2アメリカ軍歩兵、個人装備を使用しての防御の体験、訓練
・1944年7月、カステリーナ近郊における第100歩兵大隊を想定。

日時
2017年6月3日~4日にかけて。
※状況中は緊急時、必要時を除き駐車場所等への移動はできません。
 状況中は緊急連絡手段(携帯など)を除き、現代品の使用、持ち込みは禁止します。

場所
京都府宇治市 近郊
(参加される方には詳細を連絡致します)

参加費
  2500円
  会場使用料と糧食支給の為の実費を割り勘でお支払い頂きます。
  糧食代は4食支給、会場使用料と合わせて2500円とします。

部隊想定
1944年7月10日~11日 イタリア戦線 レグホーン南方、カステリーナ近郊
3pt/B Co/100Bn/442RCT/34thDivision


・行動想定
 ・6月3日


 ・6月4日


想定

1.状況

7月9日現在、主力後退援護を任務と見積られる約一個大隊の敵はHill147一帯を防御中である。


師団は11日0800、パスティナへ進出を企図し現在作戦準備中である。
大隊は師団の進出に先駈けてHill147北側一帯の敵を排除、同地を確保し師団の進出を援護する。西からA中隊、B中隊、C中隊の順に3個中隊並列で攻撃する。

2.命令

2BCo 前進命令
1 略
2 B中隊は大隊の前衛中隊となりHill147まで当面の敵を速やかに排除し前進せよ。


(1) 前進経路 州道33号線~Hill 147
(2) 前進体形 敵と接触まで小隊縦体
(3) 前進順序 当初1Pt、 HQ 、W Pt 、2pt、3Pt 、 の順
(4) 前進速度 3.5km
(5) 前進目標 Hill 147

4
(1) 1Pt : 前衛小隊となり中隊主力の前方200mを前進、敵主陣地を解明せよ。
(2) 2Pt:W Pt の後方50mを前進、側方を警戒せよ。
(3) 3Pt:2Pt の後方50mを前進、後方及び上空を警戒せよ。
(4) W Pt :1個60Msqd を1小隊に配属、
主力はHQ の後方50mを前進。側方を警戒せよ。

4 兵站
(1)糧食
2日分を携行。
(2)弾薬
BL分携行


(1)指揮
中隊長は中隊本部に同行。
(2)通信
   緊急時を除き、電波封止。
(3 合言葉
   バグ~ジッター



被服・装備

※ 実物、複製品、代用品の使用可。
  ・複製品については極端に形状、素材が違っていたり色が違っていなければ使用可能。
   判断が付かない場合は問い合わせ下さい。
  ・代用品についても複製品に準じます。

※ 被服、装備はほぼすべて「推奨ではなく、必須」です。 基本的に無い場合、忘れた場合は参加できません。

  ・被服
   ODフィールドジャケット(M41ジャケット)※34師団章縫付け
   ウールパンツ
   ウールシャツ※34師団章縫付け
   M43サービスシューズ及びレギンス
 
   ウールインナーグラブ(軍手代用可)
   レインコート

  ・装備
   ハバーザック
   1910エントレンチングツール(Tボーンショベル) ※ハンドマトック併用可
   M1923カートリッジベルト
   M1936サスペンダー併用を推奨(ストラップ切断品推奨)
   水筒
   包帯ポーチ
   銃剣
   ガスマスクバック(ライトウェイト)

   M1ヘルメット ※34師団章を必ずペイント
  (プラスチックヘルメット不可、ヘルメットネットは官給スモールメッシュ又はラージメッシュ、及び併用可)
   ハーフテント(OD、カーキ共に可、カーキ推奨)
   ウールブランケット×1
   メスキット


  ・使用可能火器
   M1ライフル
   BARは要相談


・これらの装備類は原則、自弁でご用意いただきますが、「どうしても○○だけ用意が難しい」等の場合、余剰品のレンタルもしくは販売できる場合もあります。
ご相談下さい。
・2日間通しての参加を推奨致しますが、事情により3日のみの参加を認めます。4日のみは原則不可とします。
・在日米国人による取材活動が予定されています。


階級(役職)
  ・事前に指名

1Sq/3pt/BCo/100Bn/442RCT/34Div

管理、本部要員
・Lt.Sfc.Nakanishi
・Msg.先任
・Pvt.ヒロ

3Pt.
・2Lt.Silver
・Pfc.3

1Sq/3Pt
・Sgt.鶴
・Cpl.
・Pfc.
・Pfc.
・Pvt.アパム
・Pvt.GJ
・Pvt.ブック
・Pvt.クライネ

本部   
記録員 
Debit氏
~太郎丸

※基本的にPvt 兵のみの募集です。

給食
  ・1日目昼食 10-in-1レーション
  ・1日目夕食 Cレーション
  ・2日目朝食 Kレーション
  ・2日目昼食 10-in-1レーション










細部、規定については皆様のご意見、希望を反映しつつ変更、追加する可能性があります。
参加希望調査をしますので、希望される方は此方かメッセージでお知らせ下さい

質問・疑問については遠慮なく書き込みをお願いします。

※山間部での野営であり、装備規定に満たない方の参加はできません。
※あくまで有志による私的キャンプです。事故、怪我等に関しては参加者個人の自己責任に帰するものとします。


(※このページは逐一更新します)  


Posted by 先任  at 16:44Comments(0)お知らせ

2017年05月19日

BCo5月キャンプレポート Ex. 番外編



前回、最終項と書いた2017年BCo、5月キャンプレポートですが、参加してくれたイリノイ出身の元海兵隊で、カリフォルニアの34師団リエナクトのメンバーでもあるリチャード君がレポートを書いてくれましたので、キャンプ中に「撮影されたプライベート写真」を合わせて紹介致します。
これらの写真は当時のカメラで撮影されたものです。

原文は英語だったので、間違いも多いかと思いますがつたない訳文を載せます。






1)キャンプ場は美しかった。山の中で連なる丘、まさに田舎の素晴らしい場所です。
日本のゴールデンウィークだったので、他の一般の方々の多くキャンプに来ていた。
その幾人かはミリタリーオタク(※ジープのイベントが開催さえていました)、他は休暇を過ごす家族や友人達でした。






2)週末のテーマはイタリア戦線における第100大隊のR&R(※休暇)だった。
第133歩兵連隊が長い休息、修復、訓練を受けていた1944年3月頃を想定した。










3)ラージウォールテントが中隊のキッチン(KP)として機能し、Kレーションの木箱や空き箱を利用したテーブルと椅子が置かれたフライシ-トがメスホール(※食堂)建てられたキャンプの光景はよく出来ていた。
これらの2つの天幕はアメリカのアームブロスター(WW2から実際に軍のテントを作っていたメーカー)からの新しいテントセットで、高価だが良い物だった。
ピラミッドテントは中隊本部として建てられ中隊長や中隊先任下士官、通信が勤めた。
GPミディアム(スモールウォールテント)は補給及び工具類等のテントとして機能し、その他の部隊機材、特殊な武器、及びキャンプの他の部分のためのコンテナの輸送用の保管場所だった(時代遅れのために隠されていた)。
金属製バケツのは現代の浸水式温水器でセットアップされていました(WW2型は日本では見つからず、輸入するには高価 ※買えない事はないが、ガソリンを使用するので個人輸入が困難)
ありがたいことに、デザインはあまり変わっていませんでした。
キッチンのバーナーも同様です。











4)彼らリエナクターは、多くのユニットと同様、非常に緊密なグループです。
誰もが迅速に、そして不平を言わずに動きます。
もちろん、彼らは一意の日本人ですが、国家に関係なく同類であると思います。
彼らは歴史や装備について語ったり、冗談を言ったり、物語を話したり、馬に乗ったり、時間外にはグループのリラクゼーションを楽しんでいます。


5)すべてのアイテムは高い水準でオリジナルに近い置換が行われ、ハイエンドの再現だった。非常に良いです。
彼らは確かにJ. Murray Inc(※米国のM1ヘルメット専門店)を高く評価している。







6)日本では持てる銃器に制限ある為、彼らの焦点はWW2の兵士の訓練とキャンプ生活に置かれている。
私たちは通常、空砲射撃に適応した武器があり、「公開ショー」を行うので、西洋ではあまり表現いないものがあります。
そのため個人訓練、分隊行動、爆破。野戦電話操作、砂盤の建設および使用、コンパスの使用および地図の読み取りに至るまで、厳しいスケジュールが守られました。
すべては、戦闘ではなくトレーニングであるという考え方で行われました。






7)多くはJSDFのメンバーであり、様々な職種の上級者、指導者、経験豊富なメンバーである。
大部分の "軍事的専門知識"は話されていません。
しかし伝える事が可能な時は適用されます。
メンバーと最初に会った時、多くの人は自分自身を紹介しなかったので私はJSDFであることを知らなかった。
また大変興味深いメンバーに京都の僧侶が居ます。




8)座学は重要です。
野戦の基礎訓練、それを指導した方は精通した、素晴らしい教師でした。
言語の壁(私の日本語力は単語とフレーズを覚えているだけで、会話には不十分)があったがコンパスの使い方、方位角や逆回転、位置の三角測量等を実施した。
これらは本当の軍隊のように講義とディスカッションが最初に行われました。
当初、座学で練習をしていましたが、少しの休憩後には山を登って実地訓練を行いました。






9)
彼らはアメリカ人である私を特に歓迎していた。
実際には言葉が通じてないにもかかわらず、週末には素晴らしい友達関係を確立しました。
私はゲスト、名誉ある人、あるいはまったく別の人であるかどうか分からなかったので、いくつかの点では迷っていました。
私はいつも必要に応じて手伝いをしていましたが、配食のような他の時には、中尉として並ぶように求められ、私は後ろに並んで待ちました。
伝統として部下を先に食べさせようと思ったからです。

どうやら、ユニットのリーダーの考えは「あなたは私たちのゲスト」と感じました。
ユニットリーダーが昼休みの間にそう言った後、私は彼のゲストとして従う事が彼の為と考えた。
それにもかかわらず、私はまだどこでも可能な限り手伝っていきます。






10)多くのReenactorと同様に、複数のタイムラインにわたって複数のインプレッションが広がっています。そこに驚きはありません。

11)一部のメンバーには戦争中の親戚がいて、日本帝国軍に在籍していた人もいましたが、100/442RCT自体に親戚がいた人もいました!(※誰? 間違い?)

12)最初の夜に私たちが集まったのは、書籍、映画、映画の登場人物のリーダーシップに関するグループの「ブルセッション」(初心者の部屋)のメモの興味深い議論であり、 IJA / IJNに関する話題と、ディック・ウィンタース大尉とハリー・ウェルシュ中尉の言葉が私でも理解できた。


13)多くのリエナクトグループ(※アメリカの)と彼らはとても似ており、様々なグループの様式に注目した。
彼らは戦争における兵士に似せた演技をする必要はありませんでした。
(※自然体だった、と言う意味かな?)

チームやグループ単位で様々な事に取り組んでいた。
私たちの深夜の "ブルセッション"は通常、様々な与太話に費やします。
またグループの話題についての議論が必要でしたが、彼らは伝統的なニセイの曲(アロハ 'Oe、100大隊の歌など)で盛り上がった。生ハムとチーズは酒と一緒に楽しめました。

撤収。
全員が協力してキャンプをたたみ、すべてのものを適切な所有者に編成し、そのすべてを車両に「テトリス」するために、私たちのクリーンアップにはしばらく時間がかかりました。

その後、コンビニに再集結しアイスクリームや軽食で満たされました。
そこでお別れの挨拶。
また来月(※6月3,4日)に京都で実施するイベントに招待されましたが。私はその時はアメリカに帰国しているので参加できないです。

私は心のこもったサヨナラを下手な日本語で表すよりも「アロハ」と言いました。
それはハワイでの挨拶。こんにちはだけでなく、またの再会を示す言葉でもあるからです。

素晴らしい時間をすごせた事に私は感謝します。
先任さんが私を招待してくれました。
また新たな友人が増え、更に彼らはこの活動を広めたいと願っていました。
日本以外の国のリエナクターにも。
私はSNSで彼らを示してします。
彼らの活動を見て下さい。

(※現代日本の)状況を考えれば、彼らは非常に優れていると思います。
この野営地は言ってしませば自分自身と趣味のためですが、しばしば欧米でも見過ごされるGI Life(または歴史的な軍隊の生存者)の側面に焦点を当てています。






Now that I'm in a reflective mood, my experiences of reenacting with the 100th Battalion Reenactors here in Japan:

1) The campsite was beautiful. Out in the country, very hilly and mountain-y, and a great location. It was Golden Week in Japan (three holidays in a row), so many others were out camping as well on their normal holiday. Some were military otaku, others were just families and friends out for the holiday.

2) The impression theme for the weekend was a period of R&R for the 100th in Italy. I wasn't quite sure of when, but I would place it approximately around March of 1944 when the 133rd Infantry (as well as the rest of the 34th) had a long period of rest, refit, and training.

3) The camp was well built, with a large wall tent serving as the Company Kitchen (KP) and a fly put up as a Mess Hall with K-rat and other empty crates serving as our benches and tables. Both of these were apparently new tent sets from Armbruster in the US (an original manufacturer of WW2 tents). Pricey, but I see why, the stuff is darn good. A Pyramid tent served as the Company Command Post with excellent setups for a signals operator, the commander/1st Sgt, and the company clerk. A GP medium served as Supply/Artificer and was storage for misc unit gear, extra/specialist weapons, and transporting containers for other parts of the camp (hidden due to being anachronisms). Metal trash cans were setup with modern immersion water heaters (originals are hard to find in the states, let alone Japan and would cost probably double just to ship a single piece. Thankfully, the designs hadn't changed much, as for the kitchen ranges and burners which were put to use for feeding us.

4) These reenactors are a very tight group, like many units. Everyone pitches in quickly, and without complaint. Of course they are uniquely Japanese, but I noticed that reenactors appear to be cut from a similar cloth, no matter their nation. They enjoy talking about history and equipment and the particulars thereof, telling jokes, telling stories, horseing around, and some group relaxation in the off-hours.

5) All their items appeared to be of high-quality, either original, close substitutions, or high-end reproductions. Very commendable. They certainly hold J. Murray Inc in high regards :D

6) Their focus, due to firearms restrictions in Japan, is more upon the training and camp life of Soldiers in WW2. Something not often portrayed in the West, as we usually have some sort of "public show" to put on with our weapons adapted to blank fire. Therefore a tight schedule was adhered to with training events ranging from drill, individual and squad maneuvering, demolitions, field telephone operation, construction and use of a sandtable, compass use and map reading. All done with the mindset that it is training, not combat.

7) Many are members of the JSDF, and most of those are senior ranked enlisted, instructors, or experienced members in their respective MOS's. For the most part, that "military expertise" is left at the door, but it is applied when needed. Upon first meeting with the members, many I would not have known they were JSDF if they hadn't introduced themselves as such. One particular funny member is a Buddhist Priest in Kyoto.

8) The classes were prime. Very basic courses in the fields, and their subject matter experts are well versed and great teachers. Even with the barrier of language (my Japanese was only good enough to catch certain words and phrases, not enough to put things together), I knew when the instructors were discussing topics such as Magnetic Declination, use of the compass, azimuths and backazimuths, triangulating one's location. Much like a military class, a lecture and discussion was held first, with some hands on practice "in the class" and after a short break we would go do some more practical work regarding the topic-at-hand.

9) They were particularly welcoming of me, despite being an American, and were accommodating, and friendly. In fact, I established some awesome friendships in only a weekend, despite language barriers. I was at a loss at some points as I wasn't sure if I was being a guest, a person of honor, or just another one of the guys. I always wanted to pitch in help when needed, other times like the chow line, I'd wait towards the back since I was asked to come as an officer (2nd Lt), old traditions of "letting the lower ranks eat first" die hard. Apparently, the unit leadership felt that the same as well as "hey you're our guest." After their unit leader insisted during one of the lunch breaks, I assumed it was his prerogative to insist that I do so as his guest. Regardless, I still would try and help out wherever I could.

10) Like many reenactors, they have multiple impressions spread across multiple timelines. No surprises there.

11) Some members had relatives that were in the war, both in the Imperial Japanese Military and some even had relatives in the 100th/442nd RCT itself!

12) An interesting discussion of note on the first night during our group "bull session" (another typicality of reenactors everywhere), was what I gathered was a discussion of leadership of characters in books, movies, and films, and it was being compared to that of the IJA/IJN. Mentions of Major Dick Winters, as well as Lieutenant Harry Welsh were caught.

13) Like many reenacting groups they are quite close, many group rituals were noticed. They didn't need to fully portray the closeness of Soldiers in War, as they were quite enacting it in reality. Errands were done as teams and groups. Our late night "bull sessions" usually required some discussion of a group topic before splitting to various side conversations, there was singing of traditional Nisei tunes (Aloha 'Oe, 100th Infantry Fight Song, etc), during which a smoked(? maybe raw?) pork line and cheese were shared and enjoyed alongside drinks. Our cleanup took some time as we banded together in the sudden heat to break the camp and organize everything to the right owners and "tetris" all of it into their vehicles. This was met shortly thereafter by a group trip to a local "conbini" (convenience store, 7-11 in this case) for ice cream, and road trip snacks and drinks. Again a ritualistic sharing of goodbye's and "until next times" were shared. Again I was invited to an event in Kyoto next month. Sadly I wouldn't be able to make it since I would be back in the States by then.

It was a heartfelt series of goodbyes as we went our ways, but they were particularly proud of my attending and glad to have me come back. In my elementary Japanese I told the group that I wouldn't say "Sayonara," but in Hawaiian tradition: "Aloha" representing the welcoming hospitality and the possibility of meeting in the future.

All in all, it was a grand time, and I'm thankful Hide Koda-さん had invited me. A great band of new friends, and IMO, some "damn good Joes," they asked that I spread the word of what they are working towards here to the reenactors outside of Japan, I know many follow their groups or individuals on social media, and see part of what they do.

I think they do very excellent given their circumstances, and this encampment was strictly for themselves and their hobby and they performed it admirably, focusing on an aspect of GI Life (or the live's of historical militaries) that IMO go often overlooked in the West.
  


Posted by 先任  at 06:30Comments(0)リエナクト